失敗力
発表会の失敗から学んだこと
ふと目に止まった雑誌のテーマ「失敗力」。あまり聞き慣れない言葉なのでGoogleで検索してみた。「世界のエリートの『失敗力』」という名の書籍や失敗力カンファレンスなる催事が引っかかった。失敗力なる言葉は案外浸透しているようだ。
勿論のことだが失敗するのは簡単だ。力なんて要らない。易き方へ流れていけばいい、快適な道ばかりを選択し続ければいい、微温湯につかっていればいい。失敗力とはすなわち「失敗を力にすること」の略語なのだろう。
ギターの発表会は散々な結果となった。二曲目の「しるし」が思い通りに演奏できなかった。何がどうという訳ではなく、自分が歌い終えた瞬間の印象が、「やってしもた、あかん。全くあかんかった。」だった。
歌い終えて、松本先生から「トップバッターというプレッシャーの中よく頑張りました。」という励ましの言葉をいただき、仲間からも「良かったよ。」、「頑張ったやん。」、「勇気づけられました。」と言われても、額面通りに受け入れることが出来なかった。演奏の中断という偽ることの出来ない致命的な失敗をしたからだ。「終わり良ければ全て良し」という言葉があるように、途中がうまく行かなくても最後で取り繕うことは出来た。しかし、途中が不安定で最後で演奏をぶった切ってしまえば、まさに砂上の楼閣、半分以上の成功もすべて台無しになってしまった。
悔しくて情けなくて、そして恥ずかしかった。睡眠不足と疲労、そして演奏失敗による挫折で、帰宅後は放心状態に陥ってしまった。数時間ソファに横たわっていたが、朝と昼食を摂っていなかったためか少しの空腹を感じ、ようやく夕食の席についた。何を飲食しているのか分からないくらい味覚まで消失していた。演奏を聞きに来ていた妻との会話も弾むはずもなく、まるでお通夜のような雰囲気だった。
ところが、ふと妻が漏らした、「(あなたは)いつも難しい方を選ぶのよね。」の一言で一筋の光明が差し込んだ。もし、無難な曲を選択して手堅く演奏をこなしていたらどうだっただろう。きっと、意気揚々として何も学ぶことはなかった。このまま惰性でレッスンを受けていたに違いない。このままでは終われない、早速翌日、譜面台を買いに行った。場慣れが重要と考えたので、この夏のクリニックのカラオケ大会で再度披露することを決意した。
自分の人生を振り返ると、重大な局面ではなぜか、困難な方、茨(いばら)の道を選択してきたように思う。挫折、不遇、失意、どん底を経験し、這い上がってきた泥臭さが僕のDNAに染み付いているのかもしれない。そう考えると、今回の発表会の失敗も自明のことだったのかもしれない。
この秋、天命を知る五十を迎える。それを前に、天命を知ったような気がしたギターの発表会だった。単なる演奏会のはずが様々なことを教えてもらった。これからも失敗を恐れること無く挑戦し続けよう、まだまだ学ぶことは多い、これからも進歩できる、現在はそう感じている。
先生に「どうでしたか?」と尋ねられて、
シュンとしている僕です。