院長のコラム

尾崎豊、駆け抜けて行った人

2011.11.12

尾崎豊の思い出

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僕が発見するまでもなく、尾崎人気が徐々に浸透しつつあることは、「ギターブックGB」を毎月見ていれば分かった。最初は小さな記事に過ぎなかった取り上げられ方が、月を追って割かれるページが増え、特集も組まれるようになったからだ。

自身が覚えている尾崎ブレイクのきっかけは、何と言っても日比谷野外音楽堂でのライブイベントでの出来事だろう。うろ覚えのことなので、あくまでも当時自分が読みあさった雑誌の印象、自分というフィルターに残っている残像をここに記載する。
確か「アトミックカフェ」という名のイベントで、多数の有名ミュージシャンが集ったライブイベントだった。当時尾崎は、アルバムを出していたものの世間一般的には無名に等しかった。自分の出番になりステージに出るや否や観客からの冷たい視線に曝され、逃げ出したい気持ちを抑え懸命に歌った。しかし、歌えば歌うほど空回りし、自分に興味を示してくれない聴衆を何とか振り向かそうと照明台の上に昇り、聴衆からの声援に答える形で7メートルの照明台から飛び降り、骨折そして入院。
ミュージシャンとしての実力はもとより、破天荒なデビューエピソードに予測不能なライブアクト、日比谷の野音以降尾崎は、10代のカリスマ、10代の代弁者、反逆のヒーローと一般誌でも取り上げられるようになり、人気はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いになった。

尾崎に魅せられた僕は、大学生になってから二度のコンサート、一つは岡山市民会館、もう一つは伝説の大阪球場に足を運んだ。規模も違えば、キャパも異なるコンサートではあったが、二度とも同じ印象を持った。
ロックの伝道者であり、今や生きたロック伝説者である佐野さんのライブは、起承転結が明確で、観客を楽しませ観客と掛け合い、最後に会場が一体となる高揚感を醸成形成するライブに何度涙したことだろうか。生きていて良かった、辛いことがあっても明日もまた頑張ろう。また、何年後になるかもしれないけれども、佐野さんのライブに集えることができれば、と思い今までに何度足を運んだことだろうか。
一方、自身が身をもって感じた尾崎のライブは、一言で言えば尾崎豊独演会であった。観客は、終始眼が虚ろな尾崎の一挙手一投足に注視し、先の読めないパフォーマンスに驚き喜び、皆が尾崎のMCに訳も分からず悲鳴をあげていた。コンサートと言うよりも、教祖と信者の交流会のように感じた僕は、二度とも妙に冷めていたのを憶えている。あれだけ楽しみにしていた尾崎のライブなのに、終わってみれば、尾崎は大丈夫だろうか、尾崎はこんなコンサートをいつまで続けられるのだろうか、不安になった。

僕は、中原中也、太宰治、三島由紀夫は知らない、歴史上の人物としてのみ知っている。しかし、僕は尾崎豊を知っている。
なぜ、尾崎は弛まなく走り続けるのだろう
なぜ、尾崎は自身の骨身を削ってまで創作するのだろう
なぜ、尾崎は真実を求め続けるのだろう。
僕の母親がそうだったように、尾崎は生き急いでいる、と早くから感じていた。

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