院長のコラム

尾崎豊との出会い

2011.11.5

プチ自慢

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最近、ふと尾崎豊の曲を口ずさむことが多くなった。「坂の下に見えたあの街に」の一節もそんな曲の一つである。
♪やがて俺も家族を持ち同じように築き上げるだろう 何もかもわけあって行くようにね♪
今年は尾崎没後20年になるそうだ。忘れもしない、尾崎死亡のニュースを聞いたのは、出張先の幌加内の病院に着いてテレビをつけた矢先であった。驚きは全くなく、いよいよこの日が来たか、と淡々としていたのを覚えている。

尾崎を知ったのは、まさに「十七歳の地図」を発表した十七歳であった。中学生の時に聞いていた松山千春やさだまさし等のフォークソング、松田聖子やたのきんトリオを頂点とした歌謡曲は、高校生にもなると妙に違和感をおぼえるようになった。その原因の一つに、母親の一言があった。居間で松山千春のアルバムをかけていた時、洗濯物を畳みながら言った母の「何、このしみったれた曲」の一言である。
中学生の頃はABBAが全盛で、ABBAはもちろん、同時代のビリージョエルや当時のヒットチャートを賑わす洋楽もよく聞いていた。しかし、洋楽では歌詞と曲調のギャップを埋められないことが多く、ABBAの人気衰退とともに洋楽熱は一気に冷めてしまった。

当時は、今と違って情報源は限られていた。日本の音楽状況を知るためにソニーマガジンズから発行されていた「ギターブックGB」という月刊誌を購入するようになった。購入し始めた頃は、佐野さんがアルバム「No Damage」を出しニューヨーク行きを発表した頃だったので、ギターブックは佐野さんの情報を伝えてくれる数少ない情報源でもあった。
ある時、その雑誌の小さな記事で尾崎豊を見つけた。青山学院高等部を中退したこと、中退した学校の卒業式にルイードで初ライブを開催したこと、そのライブが盛況だったことが書かれていた。同じ年代で、その破天荒なエピソードに惹かれてLPアルバム「十七才の地図」を購入した。聴いた第一印象は、とにかく凄い、だった。あふれんばかりの量の言葉を歌詞に詰め込み、その詰め込まれた歌詞を伝えるために作られた独特の抑揚の曲調。何よりも当時、10代の代弁者と言われただけあって、その歌詞で10代の鬱屈した気持ちを的確に、しかも素直に飾らず表現していた。尾崎に惹かれたもう一つの理由は、そのまなざしにある。眼力(めぢから)とも言うのだろうか、鋭いけれどもどこか虚ろで寂しそうな眼がとても印象的であった。

尾崎の虜になった僕は、学校へアルバム「十七才の地図」を持って行って友人達に、サラ金業者よろしく半ば強引に貸し付けた。しかし、評判は上々で、又貸しの連鎖が起こりしばらくアルバムは返って来なかった。有名になる前の尾崎を見つけ、誰よりも早く高校で普及させたことは、誰も知らない、同級生は認めてくれない自分のマイ自慢、プチ自慢である。

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