平成から令和(2)
元号制定において、喧々諤々、丁々発止の議論があったようだ。「令は命令の令である。これから始まる安倍政権の言論統制・弾圧を示唆するものである。」という意見もあったようだ。誇大妄想も甚だしいと感じる。どことは言わない。平和憲法、平等・人権を唱えるなら、まさに多種多様な価値観を提示すべきである。イメージ作り、レッテル貼りの好きな人間ほど狭量で信頼できない、理想と現実の間で溺れている姿を僕はイメージしてしまう。
五月一日(水)
旅館から帰宅後、直ぐ様プールへ、2100M泳ぐ。鈍った体にはスイミングが一番、約一時間半の全身運動で心身ともにリフレッシュ。家族五人、久しぶりに我が家で夕べを迎えた。
五月二日(木)
今日も昼にプールへ、1500M泳ぐ。夕刻、知人のM君家族との食事会。M君とは今年になって知り合ったばかりだ。たった一度、酒を酌み交わしただけで腑に落ちた。出身地、年齢、職業、肩書、すべてが何もかも違った。出会った瞬間、リフレインが叫んだ(by ユーミン)。そんなことはさておき、家族ぐるみで飲みたくなった。馴染みの店に連絡したところM君家族四人、我が家四人の計八名で貸し切ることが出来た。誰に気兼ねすることもなく、老若男女、別け隔てなく話せた。ちなみに一番の年寄りが僕である。八人中、二十代以下が四名、平均年齢三十一歳の飲み会だった。けれども、いい時を過ごすことができた。その勢いで家族対抗カラオケ合戦になった。他人と末永く付き合っていくためには、家族ぐるみの付き合いが重要だ。家族同士で付き合えることは、即ち家族公認の付き合いである。家族を敵に回しての飲み会は止めたほうがいい、そう僕は考えている(あくまでも経験値。効能効果はあくまでも個人の意見。とはいえ、見ず知らずの家族を理由に断る輩の何と多いことか)。
五月三日(金)
今日も昼にプールへ、1800M泳ぐ。夕刻、M君家族も交えた三家族合同の家飲み会。気心しれた人と飲むなら家で飲むのが人生最高(あくまでも本人の主観です)。各家族がオードブルとお気に入りのアルコールを持ち寄ればそれだけでいい。あとは会話が究極のスパイスになる。一人あたり三千円で至福の時間を過ごせる。当初、いつも家飲み会をしている夫婦と我が家での食事会を約束していた。昨日のM君との飲み会で何気なく、「明日家飲み会をするんやけど、どう?」と投げかけた。一を聞いて十を知る、とはまさにこのことだ。「了解しました。それなら(M君の)家に来てくださいよ。」と即答。隣の席で聞いていた奥様にとっては戦々恐々だったに違いないが、夫がそう言った以上受容する以外術がない。三家族合同の飲み会は、あっという間に三時間が過ぎた。家飲み会の三ヶ条、妻に気持ちよく飲んでもらう、妻の愚痴を皆で共有する、妻に極力片付けをさせず十時までに終わる、以上。(もう少し続く)