年末東北旅行(2)
今回の旅行は長女主導による妻のサポートで進めた旅程で、僕には全く情報を知らされていなかった。したがって、一家の主なのに下準備もなければ予備知識もなく出たとこ勝負。2日目の予定は気仙沼に行って、そこから岩手にある旅館まで北上と大雑把な指令が専属運転手に下された。自分の車なら、携帯電話のGoogle Mapに行き先を入力してApple CarPlayに接続して案内してもらうところだが、レンタカーのナビにはApple CarPlayが装備されていない。純正のナビは、かなり余裕を持って到着予想時間を案内するため、今回の旅行ではGoogle Mapとの誤差に苦心した。ビジネスホテルのフロントマンお勧めの大崎八幡宮に参ったら、気仙沼への到着時間は午後1時と表示されたため、仙台市街とはこれでオサラバ。
気仙沼訪問は長女のたっての希望。東日本大震災から今年で12年。被災地のために何か出来ればと思いながら、実際にしたのは義援金を贈っただけ。直接的な震災支援は出来ず、被害の状況を目の当たりにすることもなかった。しかし、震災からの復興を見届けるのも日本人としての責務、とかねてより僕自身も感じていた。そして、南海トラフ巨大地震が発生すると莫大な被害が想定されている和歌山県に住む者として、被災地から学ぶことは多いはずだ。道の駅大谷海岸でオリジナルソフトクリームを頬張りながら、滞在時間2時間弱の気仙沼観光の戦略を練った。気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、あいにく年末で休館。旧気仙沼向洋高校遺構を車内から見て、近隣の「龍の松」を見学。そこから、気仙沼湾と市街を一望できる安波山へ向かった。震災から12年、気仙沼市街を車で走ってみて、明らかに爪痕と思われる光景には遭遇しなかった。ただし、海抜表示や津波浸水区間、津波避難場所の道路標識が目立ったのは印象的だった。初めて被災地を訪れた感想はと言えば、言葉に出来ない、何も感じ考えなかった、が本音である。かつてこの地で起こった甚大な被害、その後の長期に渡る復興。そこに住む人々の苦しみや悲しみ、痛みは想像を絶するものだったに違いない。しかし、僕の眼前に見える光景は我々と何も変わらない日々の営み。何かを安易に考え決定するのは無礼なような気がして、あえて風景を目に焼き付けるだけにした。
気仙沼をあとに、二日目の宿泊地を目指した。宮城と岩手の県境らしいと聞いていたが、Google Mapでも到着時刻は2時間後。延々と国道を走り、ようやく高速道路に乗って北上、見る見るうちに雪景色に変わり、標識にも青森や秋田、盛岡の文字が見える。「ここどこ?」、花巻南ICを降りても事前情報がない自分には岩手のどこにいるか見当がつかない。一面銀世界の一般道を走っていたら、宮沢賢治記念館の道路標識。今日の宿泊地「湯の杜ホテル志戸平」は、宮城との県境との情報は全くのガセだった。今まで生きてきた中で本州最北端の地にいることを知ったのは、降り積もった雪を見ながら川のせせらぎを聞いて露天風呂を楽しんだ後だった。「思えば遠くへ来たもんだ。」つぶやかざるを得なかった。格安ツアーなのでそれなりの部屋だったが、温泉と夕朝食のバイキングは堪能した。
大晦日は、花巻から仙台、仙台から大阪伊丹空港、そして自宅へ。締めは、祖父母の家で紅白歌合戦を見ながらの夕食。2022年を振り返ることなく、2023年の展望を抱くことなく睡魔に襲われて眠りについた。業務と反比例する慌ただしい年の瀬になった。2023年こそはコロナ前の検査件数に戻りますように!