悲願、山本耀司氏と対面(後編)
さらにサインをゲット
十九時から始まったレセプションパーティーも、我々が到着した頃には宴もたけなわだった。しかし、そこに耀司さんは最早いなかった。長年のお付き合いに加え田舎者の上京が功を奏し、スタッフの計らいでどうにかこうにかサインをもらえた。それだけでも十二分に満足出来ることなのだが、こんな機会は最初で最後かもしれない、可能ならもう一つサインを貰いたいモノがあった。
かつて、誰もが知る超高級ブランドが、山本耀司氏に敬意を表してその名も「YOHJI」という名のバッグを発売した。価格を聞いた時、あまりに高額すぎて一度は購入を断念したが、紆余曲折、試行錯誤の末、不退転の決意で購入した。以後、そのバッグを持って青山の店を訪れる際には、「耀司さんに、これにサインをして欲しいんですよね。」と半ば冗談に話していた。
今回は、千載一遇の好機である。高価なバッグにもったいないと考える人もいるだろう。僕には、そのバッグ自身が持つ価値よりも、敬愛するデザイナーの名が印されていることが大事だった。西洋が中心の洋服文化において、東洋人の名が刻み込まれたバッグが存在することが誇りである。自身の名前がついた鞄に本人が署名して完成形、と確信していた。
二十時半も過ぎる頃には招かれたセレブもどんどん退出し、数多くいた招待者も帰宅の途に就き会場は徐々に閑散としていった。そうこうするうち、パーティーのために除けられていた棚やテーブル、ハンガーが続々運び込まれ、明日の営業準備が始まった。お世話になっているスタッフから、「もしチャンスがあるとしたら、耀司さんが店から帰る時ですよ。」と告げられた。ホテルに帰って寝るだけなので急ぐ必要はない。以前担当だった方も交えて世間話をしながら、その時を待った。
ほぼいつもの装いに店内が戻った頃、「そろそろ耀司さんが帰りますよ。」と報告された。どうお願いしようか、何を話そうか思案する間もなくマエストロが地下から上がってきた。有頂天の僕は、サイン入りレザーブルゾンを見せながら、バッグにもサインをいただけませんでしょうか、のようなことを喋ったのだろう。自分の言動はうろ覚えだが、耀司さんの一挙手一投足は鮮明に覚えている。微笑みながら「Yohji Yamamoto」のサインを大きく記してくれた。「ヨウジヤマモトは僕が生きて行くうえの糧なので、まだまだ頑張ってください。」のような旨のことを投げかけたところ、「僕もですよ。」と笑いながら返答してくれた。
片付いた店内を一通り見渡し、スタッフ一同に会釈をして店を去る際の耀司さんのふとした寂しげな表情が僕には印象的だった。
年初早々、今年の運をすべて使い切ったと思える出来事があった。一年単位でみるとそうかもしれないが、ようやく三十年来の夢が叶ったとも言えるかもしれない。継続することの大切さ、御縁を育む寛容性の重要さを再認識した。それとともに、機会を捉えるべく感受性を研ぎ澄ますことの必要性も理解した。
僕にはまだまだ夢がある。人に頑張るよう促す前に、自身、老いて枯れないよう、もっと頑張らなきゃ、そう心新たにしている。