憧れのフランクミュラー(かつての)
この春、店舗改装に伴い「フランク・ミュラー」の取り扱いがなくなることを馴染みの時計店から聞かされた。現在の地にこの店舗が開業して以来だから、もう十五年以上取り引きのあったブランドがついに暖簾を下ろすことになった。きっと、日本代理店と販売店の壮絶な攻防があったに違いない。代理店にとっては、撤退なのか撤収なのか、一体どちらなのだろうか。現オーナーとしては非常に残念と思う反面、この数年の流れを見ていると「仕方がないよね。」と言わざるを得ない状況にあったことは確かだ。コロナ禍前からその兆候は見られていた。メディアの露出は以前よりも激減、発表される新作は新鮮味に欠けかつての焼き直しばかり。追い打ちをかけるようにコロナ禍である。
コロナ禍で、腕時計選択のトレンドが変化したように僕は考えている。行動が制限され旅行や外食に行けない。かたや、大胆な金融緩和政策が行われ市場にお金がばらまかれた。使い道が限られた中で向かった先の一つが腕時計。従来趣味嗜好の強い腕時計に、以前よりもさらに資産性が求められるようになったと感じている。最たるものはロレックスで、一部のスポーツモデルに限られていた人気が全体に波及し、今や什器の中はもぬけの殻状態。二次マーケットを見れば、人気モデルは一目瞭然、逆に定価より安く売られているものも明々白々、高くても売れる時計・売れない時計の二極化が随分進んだ。かつてはトレンドのど真ん中にいたフランクミュラーも、今や蚊帳の外に置かれている。
「日本人なら、先ずは日本のプロダクトを理解しろ!」、腕時計に興味を持ち始め物欲に目覚めた頃の僕のスタンスだった。しかし、メディア・雑誌を見ると、いわゆる評論家達は、日本の歴史や伝統をないがしろにするがごとく西洋文化および西洋のモノづくりを称賛していた。国産主義者だった自分にとって目の上のたんこぶだったフランク・ミュラーが、いつの頃からか憧れのブランドになっていた。したがって、初めて三桁万円を超える腕時計にフランクのコンキスタドールを選択した時(もちろん長期無金利で購入)には、自分の人生が一段階アップしたような気がした。その後、さらに高額な腕時計やクルマを購入したが、初めてフランク・ミュラーを購入した時のような高揚感を覚えたことがない。それくらい、トノー型ケースに特徴的なビザンチン数字、見る人が見れば誰もがフランク・ミュラーと分かるデザインに魅了されたのだろう。
フランク・ミュラーを揶揄するつもりはこれっぽっちもない。夫婦合わせて片手位の購入履歴がそれを物語っている。ただ、盛者必衰の理に無常を感じているだけ。数年後に迎える還暦に当たって二度とフランクを買うことはないけれども、購入したものを売るつもりもない。あの頃に、ロレックスをもっと買っていれば、パテック・フィリップをもっと早く知っていればと思わないでもないが、これも自分の人生であり出会いである。自分の歩んできた道を否定するわけにはいかない。この春以降、フランク・ミュラーの実機を見る機会はなくなるけれども、その動向には引き続き注視していこうと思うし、またブームが再燃することを願ってやまない。