捨てることの勇気
書斎の掃除
現在片付け中の書斎。
これでも大分書籍を処分しました。
居を構えてから約7年になる。小さいながら作った僕の書斎は、いつの間にか物置になってしまった。部屋を使わないから不要な物を置く、物を置くから座る場所がなくなる、本をたくさん置いているので部屋に湿気がこもる、カビ臭くモノが一杯ある部屋は触らぬ神にたたりなし。放置したままで何年も過ぎた、まさに悪循環である。
片付けなかったもう一つの理由は、いつか読もうと思っていた雑誌や医学書、以前役だった論文のコピーや医学資料をたくさん残していたからだ。何度か片付けようと試みたが、まだ手を付けていない資料や思い出の書類を手放す勇気が当時なかった。
一家の主がこのような状態なので、妻や子供達も言わずもがな、千葉さんに設計してもらった家が、何となく雑然とした雰囲気になってきた。「先ず隗より始めよ」、主が率先して書斎の片付けを始めた。
医師を目指す多くの医学生が思うように、僕もブラックジャックになりたかった。どんな病気でもさっと診断してぱっと治療する、そんな万能な医者になりたかった。ちなみに、ブラックジャックみたいですね、と良く言われる僕の黒服は、ブラックジャックとは全く関係ない。
自分が医者になる20年前にはもうすでに、医療の専門細分化に対する弊害が指摘されていた。それを先どるかのように、母校川崎医科大学では、総合診療部という家庭医養成を目的とする診療科が設立されていた。4年生までは総合臨床部に入局することを夢見ていたが、臨床実習をする5年生にもなると、同じ医療なのに興味のある科目とどうしても苦手な科目があること、自分には医学全般を幅広くそして深く追究する能力がないことを得心した。父と同じように、自分の眼で視て診断して治療の出来る内視鏡を専門に、内科を広く学んだ証として内科専門医の取得を目指すことにした。それはすなわち、なれないとは分かっていたとはいえブラックジャックになる夢を捨てる選択だった。
あれから20年、自分のささやかな目標はどうにかこうにか達成できた。と同時に、捨てられないままの資料が膨大な量になった。いつもなら、これも欲しいあれも残しておきたいで、結局片付けられないまますぐに掃除を断念していた。しかし、今回は根気よく、しかも古くなった本や資料を思い切って捨てられる。
自分が考えるに、今まで積み重ねてきたものを冷静に吹っ切られる境地に達したからだろう。勤務医に留まる選択を捨てた僕には、進む道はひとつしかない。勤務医の時のように、中心静脈栄養のルート確保、人工呼吸器管理、血管造影、癌の化学療法をすることはもうないだろう。
開院当初、患者数で右往左往したが、開業して5年にもなれば検査件数で悩むことはあっても、患者数だけで満足することはなくなった。最近、開業医としての焦りや邪心も捨て去ることが出来てきたような気がする。
「捨てる」ということに関連した今回のコラムを書いていて、ふと不思議に思ったことがある。芸能人の離婚がワイドショーでよく取り上げられるが、赤い糸で結ばれた絆はそんなに簡単に捨てることができるものだろうか。妻子に捨てられるかも分からない男の素朴な疑問である。