推し活、俳優二人(1)長谷川博己
このコラムを書いている現在、もうすでにドラマは終わっている。つくづく思うのは、「僕の直感は間違っていなかった!」だ。十年前に感じたことが十年の時を経てとうとう確信に変わった。その俳優の名は長谷川博己、十年以上前このコラムでベタ褒めした役者。2013年4月、日本テレビで放映されたドラマ『雲の階段』。一言で言うなら資格を持たないニセ医者の話。医師不足の離島で院長の見様見真似でメスを握った事務員が、島を出て院長にまで登りつめるドラマ。原作は渡辺淳一、内容自体は漫画『ブラックジャック』と同様荒唐無稽だが、大事なのは「命」に携わる人々の人間模様。オドオドした一介の事務員が人生の階段をステップアップして行く中で醸成される揺るぎない自信。かたや、偽医者であることがいつバレるかもしれない不安。演技のことは理解していないけれど、人生を翻弄され流されていく相川三郎になぜか自分自身を投影してどハマリした。いつの間にか、役としての相川三郎と演じる長谷川博己の境界線が消失していた。「役を演じるのではなく役を生きる」、素人ながら俳優はこうあるべきだと感じたし、それを初めて意識したのが長谷川博己だった。
その後の活躍は周知の通り。朝ドラ「まんぷく」の立花萬平役、大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀。どちらの作品も長谷川博己は役を演じていない。ただ役を体現しているに過ぎない。だから、僕の中では立花萬平も明智光秀も長谷川博己というフィルターを通した人物像にしか映らない。彼本人の個性や役者としての外連味はどこにもない。故に、準主役・主役に純粋に没頭できる。故に、周囲の人物像に対しても不思議と疑念が湧いてこない。ハセヒロ推しの僕に届いた久しぶりの主演ドラマが、今春の話題をかっさらったTBS日曜劇場「アンチヒーロー」。内容はどうでも良かった。彼がどう主人公を演じるのか、ただそれだけが楽しみだった。しかし、初回を見て圧倒された。正義と悪、ヒーローとアンチヒーロー、裁く人と裁かれる人、個人と組織、正しい人と正しくない人、正義を振りかざす人と押し黙る人、何が本当で何が確かか。物事は自分の立ち位置で見えようはどうにでも変わる、物事は表裏一体を改めてドラマから知らされた。ドラマの重厚感はもちろんだったが、主人公明墨正樹の存在感は唯一無二。強烈な存在感を持った彼なくしてドラマは成立しなかった。原作のないオリジナル作品が故に、主人公を誰が演じるか、どの俳優を設定して物語を進行させていくのか、堺雅人主演「VIVANT」を手掛けた制作陣が、堺雅人と同等かそれ以上の役者と言うことで白羽の矢が立ったのが長谷川博己だったに違いない。制作陣の思惑は旗幟鮮明、だからこそ、このドラマは支持された。しかし、名作と語られるこのドラマは僕の中では春ドラマ第二位だった。