院長のコラム

朋遠方より来る

2010.10.24

人との再会の仕方
院長室から見えたある日の夕景です。
写真には写っていませんが、神々しさを感じました。
10-10-24
「朋あり遠方より来る、亦楽しからずや」論語の一節である。

過日、まさに遥か遠方青森から友人(友人というには畏れ多く先輩といったほうが妥当か)が当地を訪れてくれた。ふいに手紙が来て、しばらくの休みがとれたので急にバイクを走らせたくなったこと、せっかく走らせるなら当地を経由して四国を廻って帰ること、が書かれていた。まさかとは思っていたが、予定していた日に満面の笑みを浮かべて「先生元気ですか?」と姿を現した。開院間もない頃にも来てくれたのだが、その当時クリニックは閑散としていて、昼ご飯をクリニックのラウンジで一緒に食べたのを覚えている。今回はたまたま、年に1度あるかないかくらいばたばたとして慌ただしい日だった。「先生さすがですね、すごい患者さんですね。先生の思いが実りましたね。」と言われたが、本当にたまたまだったので何とも言えず気恥ずかしかった。ゆっくり話す間もなく、まさに月光仮面のごとく疾風のようにやって来て、疾風のように去っていった。
この先輩は、僕が北海道の岩内協会病院に勤務していた時、検査科の技師長として赴任してきた。同じ医療関係者とはいえ、職種も役職も異なれば年齢も10近く違った。しかし、妙に馬が合い、病院のその当時の問題点や改善すべき点、今後のことなどを何度も語り合った。一緒に勤務していた時期は1年もあっただろうか、その後僕は東京にある㈶早期胃癌検診協会へ、先輩はその病院に残ったが諸事情のためその病院を去り全く異なる職種を選んだ。

「朋遠方より来る」、孔子の時代から何千年も過ぎた現在、対面することだけが「会う」ことではないことを実感する。この情報化社会のメールがそれにあたる。当クリニックのホームページを介して、以前一緒に働いたことのある方からふいにメールが届くことがある。「先生元気ですか」「近畿に勤務になったので、近くに来たら連絡ください」「院長コラムを見ました」等々。この場合、訪れてくれた方の場合と異なり、その当時その方達とは特別濃密な関係にあった訳ではなく、単なる仕事上の仲間に過ぎなかった。しかし、単なる仕事上の仲間とはいえ、何げない会話の中で互いに琴線に触れる出来事があったのだろう、また当時何らかの特別な感情・思い入れがあったのかもしれない、メールをもらって「この人誰だっけ?」ということはなく、すぐに顔が浮かぶし素直に嬉しくなる。仕事の合間にメールを確認するので、疲労困憊している時などは一気に疲れもふっとんでしまうくらいである。その当時のことが周辺状況も含めて懐かしく、そして切なく思い出される。

僕は比較的若い年齢で両親と離別したせいか、天涯孤独という観念が根付いているようだ。したがって、人間関係を「この人ともいつかは別れなければならない」、とても消極的で淡白に考える自分がいる。しかしその一方、両親がいないという深い闇に包まれた孤独感を知っているからこそ、誰かと何らかのつながりを常に持っていたいと強く願う自分もいる。この両極端な思いの中で、僕の心は普段、弥次郎兵衛のようにゆらゆら揺らいでいる。
「袖振り合うも他生の縁」、たくさんの人がいる中で、なぜどうしてその人と出会ったのか、と思うことがある。映画「マトリックス」風に言うなら、なぜそのようにプログラミングされていたのか、その意味を考えようとすることがある。日常生活でこんなことを考えていたら窮屈になるばかりなので普段はあまり考えないようにしているが、手段は異なっても朋と再会した時は素直に嬉しいし、生きていることの素晴らしさを実感するし、そして何よりも哲学者になれる。
「朋あり遠方より来る」

子(し)曰く、学んで時に之(これ)を習う。
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり遠方より来(きた)る、亦楽しからずや。
人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや。

長嶋雄一クリニックお問い合わせ

診療科目(内科・消化器科・胃腸科)
診察週

月・火

木・金
奇数週
(第1・3・5週)
8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 15:00
偶数週
(第2・4週)
8:00 ~ 12:00
休診日︓第1・3・5週水曜日、第2・4週土曜日/ 祝・日曜日