東京五輪を想う
ネットニュースを見ると、オリンピック開催に7〜8割の国民が反対しているようだ。ニュースに対するコメントを見ても、政府やIOCに対する批判や非難が渦巻いている。「東京五輪中止やむなし」の風が吹いている。経済学者の高橋洋一氏が、日本のCOVID-19感染者数は諸外国から見れば「さざ波」、緊急事態宣言下の行動制限を、欧米からみれば「屁みたいなもの」とツイッターした。ここぞとばかりに、マスゴミが一斉に「けしからん!」キャンペーン打った。頭のいい高橋氏は、ここ一番すぐさま内閣官房参与を辞任した。氏のyou tubeを僕はよく見ている。事実に基づいた見解は、なるほどと納得することが多い。竹中平蔵氏のyou tubeと較べても、歯に衣着せない一刀両断の物言いが痛快だ。皮肉を込めた氏の表現は、確かに鼻につくところもあるが内容は事実である。言葉尻をあげつらって内容を論じないのがマスゴミである。
感染者数が収束していないというが、世界的にみれば、屁みたいな行動制限とワクチン接種遅延にも関わらず、依然として低いところで推移している。逆に、感染者をどこまで減らせば開催にGOサインを出せるのか、客観的データに基づいて教えて欲しいものだ。政府が拠り所とする専門家会議や医師会は、一年前とほぼ同じ行動制限と自粛を念仏のように未だ唱えている。医療が逼迫している、医療従事者は疲労困憊だと声高に叫ばれている。しかし、医療逼迫は今に始まったことではない。一年前から波が押し寄せる度に言われ続けてきたことだ。医療従事者なのに何処からも声がかからず暇を持て余している俺。十分な新型コロナ感染症専門病床数を確保して来なかったのは一体誰なのだろう。ざるの権限しか与えられていない知事、国家と国民を守れと声高に叫びながら私権制限には断固反対のマスゴミ、慎重な行動を強く要請しながらデートやパーティーに勤しむ医師会長、国民の悲痛な声を身近に聞きながらスルーする国会議員、ムカつく輩を挙げればきりがない。
八年前、東京五輪招致が決定した時、僕は素直に嬉しかった。自分が生まれていない1964年に開催された東京五輪のことは、もちろん知らない。しかし、オリンピックが開催される度に思い出の名場面として放送される東京五輪の映像を見る度、日本人としての誇らしさと現体験できた両親の世代に羨ましさを感じた。東洋の魔女と称された女子バレーボールチーム、男子柔道、体操、そしてレスリング、感動の映像を何度見てきたことか。僕自身、マラソン代表にして銅メダリストの故円谷幸吉氏に対して思い入れがある。小学校時、たまたま見た彼の生涯をたどったドラマを見て衝撃を覚えた。「幸吉は、もう疲れ切ってしまって走れません」としたため二十七歳で自決した。時代が変わったとは言え、アスリートの強い思いは不変と痛感している。自分がこの世に生きている間に経験できる自国開催の五輪、そこにたどり着くことを許された選手、アマチュアスイマーとして特に池江璃花子さんに期待している。思いがけない大病と地獄のような闘病生活、まさに血のにじむような努力で勝ち取った東京五輪。東京五輪が楽しみでならない。(つづく)