枕と着替えとバスタオル〜まさかの階段落ち(2)〜
階段から落ちて、次に妻に頼んだのが枕と着替えとバスタオル。痛みのため横たわったまま体位変換できない。左下を維持するには枕が必要だった。コーヒーがこぼれた服は染みができる。横たわっている間の珈琲臭が妙に気になった。だから着替え。そのうえで、洗濯したばかりの大きなタオルに包まれる安心感が欲しかった。動けない間もヤブ医者なりに、「痛みは増強していないか?」、「骨は折れていないか?」、「趾は動くか?」、「膝関節は大丈夫か?」何度も反芻した。じっと左側臥位のまま一時間以上、どうにか仰向けになれた。このまま倒れた場所で更に数時間いることは不可能と判断し、痛みと闘いながら両足を伸ばしたまま体を起こして、先程まで三男が楽しんでいたテレビ前に上半身だけで体を運んだ。
それからyou tubeの今井美樹チャンネルで彼女の歌を流し見し夢うつつ。身体的苦痛を彼女の歌に救済を求めた(なぜかは、またこのコラムで)。それでも、意識は「このままではあかん!」自らに言い聞かせ続けた。それが功を奏したのか、徐々に左右・正面に体位変換することが出来るように。次は問題の左ひざ関節。関節を曲げようとするや否や激痛が走った。それでも、繰り返しているうちに痛みにも慣れてきて曲げられる角度が狭まった。負傷から約三時間、何と全く動けない状況から階段を上って居間へ。素晴らしきかな、動物本来が持つ回復力と生命力に我ながら感動した。それ以前には当然と思えていたことが出来なくなった状況下で、何の変哲もない動きに沢山の筋肉と骨と関節が関与していることを今更ながらに認識した。
日頃人一倍健康には気を使っていることを自負していても、所詮僕は特別な人間ではなかった。不意に訪れた突然には茫然自失。それは、体を鍛え上げたプロレスラーや力士でも関係ない。選ばれし彼らだってプロボクサーだって練習中に亡くなることはある。想定外の前には誰もが唖然とするもの。生きていること、それ自体が奇跡で、その軌跡で生きていることを改めて実感した。月曜夜はルーチンのスイミング日、さすがに支えなく歩くのは困難なため休むことに。痛みを抱えながら夕食を摂りつつ、「傷んだところ腫れてくるかもよ。」の妻の心配を他所に「アルコール消毒!」と飲酒。決してやけ酒ではなかった。夜間眠れるだろうか、寝返ることが出来るだろうか、寝返る度に痛みに襲われ声を発するのではなかろうか、不安だった。以上の理由から、その夜は妻子と別室で寝ることに。痛み止めの内服とテープ、それにアルコールによる酩酊が功を奏したのだろう、夜間ほぼ起きることなく悪夢に襲われることもなく眠れた。