槇原敬之コンサート(前編)
「字は体を表す」と言う言葉がある。(書く)文字は、人柄やその人が持つ教養をも表しているという意味である。たくさんの履歴書を見てきた経験でいうと、全く持ってその通りだと思う。上手下手ではなく個性が大事。「字と同様、文章も体を表す」、これは自身の格言。自分の興味ある分野をネットサーフィンしていると、個人のブログに思いがけなく突き当たることがある。その人が書く文字はわからないけれども、人生日記を15年以上公衆の面前で晒してきた立場から、文章を読むだけで人柄の断片くらいは分かるようになった。自身の経験を述べるなら、初対面の方から「院長コラムのままの人」と言われることがほとんど。ごく少数ながら、「こだわりがあって気難しそうな人と思っていたが意外」と言われたことも。拙文同様、人間性の低さがきっと表れているのだろう。
レベルや内容は月とスッポンと思いつつ、「字は体を表す」と同様、ソングライターのソングライティングにも人柄や人間性が表れているように僕は感じている。槇原敬之と云う人物に会ったことはない。なので、評価しようがないけれど、彼の書く詩やテレビに映る姿を見ていたら、「本当は閉じこもりがちな硝子の少年なのに好青年を演じる道化師」と僕には映った。つまらない日常、在り来りの風景、何気ない表情や仕草、当たり前の言葉。月並みな暮らしの中に散らばっている普通を宝石のように輝かせてくれるのがマッキーの歌詞。こんな素晴らしい詞を書けるのは、鷹揚で慈悲深く慈愛に満ちた精神を持つ一方、感受性が強く脆弱な心の持ち主。二律背反を生き、自身の表裏一体にもがくマッキー。「覚せい剤取締法違反で逮捕されたのは心の弱さや才能の枯渇」なんて分かったような事を言うコメントには反吐が出る。覚醒剤の所持・使用は断固として容認できない。しかし、そこに行かざるを得なかった彼の心情や境遇を想うと、「どうして、どうして、どうして」リフレインが叫ぶ。
2020年2月、再び覚せい剤取締法で逮捕され起訴された。判決は、懲役2年、執行猶予3年。当時はコロナ禍中、すべてのエンターテイメントが休止・停止に追い込まれていた。ファンと言えるほど熱烈でもないし、執行猶予期間にあるマッキーが再び活動するかどうかわからない状況で、彼の動向には全く注視していなかった。彼の活動再開を知ったのは昨年11月、「チケットぴあ」の案内だった。6月29日土曜、大阪フェスティバルホールを皮切りに第三希望まで計4枚を応募し、なんと第一希望が通った。4枚応募したのは特に理由がなく、夫婦以外にも三男や長女、家族の誰かが行くだろうと算段した。結局、参加メンバーは夫婦、そして長女に押し切られる形で彼氏の四人に。「なんで(他人)やねん!」と思いつつも、近況報告および最近の学生生活(医学部)の聞き取り調査も兼ねて了承することにした。