院長のコラム

欲望の果て

2013.06.29

フェラーリを体験

この車に乗りました。
おそらく最初で最後の経験でしょう。

 以前、「膨れていくだけの欲望」というタイトルでコラムを書いた。5LV8エンジンの車(レクサスISF)を、人生最後の車と思って清水の舞台から飛び降りるつもりで購入した。しかし、3年も経つと持て余して、1.8Lのハイブリッドエンジン車(レクサスCT200h)に買い替えた。「エゴからエコへ」と言いつつも、新しいものを欲しいという欲望は留まらないことを書いた。先日、機会があってフェラーリ(458イタリア)を運転できた。再度、「膨れていくだけの欲望」という言葉が脳裏を横切った。

同じようなエンジンとは言え、スポーツセダンとスポーツカーは全く異なった。乗り込んだ先ずの印象は、着座位置が低くシートがタイトで、当たり前のことだがスポーツカーを運転するという雰囲気に満ち溢れていた。スタートボタンを押したらエンジンが爆音とともに鳴り響いて、目を覚ましたエンジンの咆哮が常に後ろから聞こえた。うるさいかと問われればそうではなく、むしろ心地いい音色であった。かといって、自動車評論家がやみくもに使う官能的であったかと言えばそうでもなく、我を忘れるほどでもなかった。
運転してびっくりしたのは、車の基本動作がすべてハンドル内に詰め込まれていることであった。ウィンカー操作は通常、人差し指もしくは中指で長いウィンカーレバーを操作するものだが、フェラーリでは親指で操作をしなければならない。助手席に指南してくれる人がいなければ、到底運転出来ないことを確信した。

二十分程度運転させてもらった。運転している時は、アクセルに素直に応じるスピードと唸るエンジン音、シフトダウンした時のブリッピング音、まるでF1レーサーのような気分になった。「ああフェラーリ、フェラーリよ。」言葉にならなかった。
しかし、運転を終えて、エンジンと同じく高揚した気分が冷めた瞬間、ふと我に返った。これ一台で一軒家が買える、日常使いが出来ないので乗れても休みの日か週末、日常生活用の車を別に買わなければならない、これで家族旅行へは行けない。維持するための保険料はいくらだろうか。いつかはフェラーリという夢見る気分になれなかった。むしろ、妙にせこい自分の精神の貧しさを感じざるを得なかった。

シンデレラがそうであるように、いつまでもピーターパンでいられないように、いつまでも夢は続かない。夢をかなえた途端、新しい夢が出現する。フェラーリで言えば、458イタリアをもし買ったなら、次にV12ベルリネッタが欲しくなるに決まっている。欲望には果てのないことを、今回のフェラーリの試乗で思い知らされた。貴重な、そして教訓的ないい経験をさせてもらった。
子供がまだ小さく、莫大な借金を抱えている間は、オールラウンドに使える車選びをすべきだし、何よりも分相応の生活をしなければならないと強く思った。

ところで、何の制約もなくなったらどんな車が欲しいか、少し考えてみた。「総合的に考えてアストンマーチンかな。」、やはり欲望には果てがない。

この車のディーラーに行って来ました。
全く相手にされませんでした。

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