永遠の0
百田尚樹さんの小説「永遠の0」の評判がよくベストセラーになっていることは知っていた。けれども、眼の調節力が衰えた近年、読書をしなくなったので小説は読んでいない。眼の調節力が衰えたが故にコンタクトレンズの焦点を近くに合わせ直したため、逆に遠方が見づらくなった。したがって、映画化されたことも知っていたが、「DVD化すれば自宅で見ればいい、敢えて観に行く程ではない。」と高をくくっていた。しかし、たくさんの方から「観に行って感動しました。」「絶対に観に行った方が良いですよ。」と勧められたので、水曜日の午後、一人でふらりと久しぶりに映画館に出向いた。
一言で言うなら、琴線を揺さぶられる映画だった。敢えて分類するなら戦争映画の範疇に区分されるのだろうが、今まで観た戦争映画とは少し異なるように感じた。戦争を賛美する訳でもなければ、声高に反戦を唱える映画でもない。「陛下、万歳!」、ステレオタイプな台詞はどこにもなかった。主人公は下級軍人で、英雄でもなければ大活劇ものでもない。戦時中という特殊な時代背景を生きた名も無き軍人とその周囲の人達の物語である。それは即ち、我々曾祖父母、祖父母の身近な物語である。
葬儀のシーンで始まった当初は、過去と現在を行き来しながら淡々と物語は進行していくように映ったが、次第に過去と現在が連動して繋がり粛々と場面が展開されて行った。それとともに、何度も何度も涙が頬を伝った。平日の午後で決して多いとは言えない観客数だったが、映画のエンドロールが始まっても誰も席を立たなかった。今日の観客でこの映画に一番感動したのは自分だと思っていた自分が、灯がついて一番に席を立ったくらいなので、他の方も僕と同様、いやそれ以上に、この映画が心に突き刺さったのだろう。
この映画で感じたことがもう一点、「信念を貫く」ことである。この映画の主人公は、自分の信念を貫くことによって、上司や多くの同僚、部下から、卑怯者、臆病者、非国民呼ばわりされた。一方、それを理解してくれる者が少なからずいた。この良き理解者が映画の伏線になっていて、過去と現在を絶妙に繋ぎあわせていた。
過去と現在も、信念を貫くことの難しさは変わらない。僕の周りの人間関係を眺めても、人から好かれたい、というよりむしろ人から嫌われたくないという雰囲気に満ちあふれている。傷つけたくなければ傷つけられたくもない。共感だけの表面を取り繕っただけの優しさが蔓延している。自分のため、家族のため、自分を必要としてくれる人のため、懸命に生きている人はそうそう見ない。自分自身、信念を貫けているとは到底思っていないが、家族や自分の身近な人から後ろ指を刺されるような生き方だけはしまい、といつも心に命じて生きているつもりである。
映画「永遠の0」は人間ドラマだった。観終えてから、僕がされたように何人もの人に映画を勧めた。そして、当地でも異例のロングランの映画が今週終了した。僕にこの映画を勧めてくれた方に心から感謝するとともに、自分なりの感想を院長コラムに記しとどめておきたい。
じんと来る映画でした