海陽学園という中等教育学校
「エチカの鏡」から
日曜日の午後9時に放送されている「エチカの鏡」という番組の教育特集で(8月15日)、次代の日本のリーダーを育成する取り組みをしている学校として海陽学園が取り上げられていた。息子を送っているからという色眼鏡で観なくても、「いい学校だな。」と素直に感じた。息子や学園から送られてくるメールや情報で大体は想像していたが、初めて映像として日常生活の一端を垣間みることが出来て、この学園を選択したことに揺るぎない確信を持った。百聞は一見に如かず、とはまさにこのことである。
このような取り組みをしている学校が一般に取り上げられたことに、私自身ようやく安堵を覚えた。司会のタモリさんやゲストの表情、言葉を聞いても、非常に好意的だったように思う。番組の最中も、放送後も身近な方から電話や声をかけられた。「すばらしい取り組みをしている学校ですね。」「日本にもこんな学校があったんですね。」「お宅のお子さんって、ひょっととして海陽学園?、どうして知ったの。」等々、好意的なものばかりであった。しかし、息子の学校が取り上げられたことに悦に浸るわけではなく、得意がる気持ちは毛頭ない。というのも、自分の身の回りの実社会ではこのように捉えられても、取り上げられる前までのネット世界の評価は散々だったからである。曰く「格差社会の象徴」「純粋培養された男子校」「偏差値の低い学校」等々、今でもその痕跡は「海陽学園」で検索すると分かる。この社会の2面性を嫌がおうにも痛感させられる。
世間もまだ分からない、ましてや洗濯掃除等身の回りのことさえろくに出来ない十二歳の息子を、苦渋の決断で手放す保護者の複雑な気持ちなど、掲示板に無記名で無責任に投稿する人間にはきっと理解できないであろう。有名中学・高校から有名大学、そして一流企業入社、もしくは政治家、官僚、弁護士や医師になることが、必ずしも人生の成功とは言えない時代である。身近な例で挙げると、受験勉強を勝ち上がって医者という職業に就いたにも関わらず、患者さんとうまく話せない、話せない以前に目を合わせることさえも出来ない医師と何人も仕事をしたことがある。単に受験戦争を勝ち抜いていくだけなら地元に実績がある進学校はいくらでもあったはずなのに、なぜ海陽学園の保護者は実績がなく学費も高い全寮制の学校をあえて選んだのか。私自身でいえば、学園の建学精神に共鳴共感したからである。寮生活で育まれる人格形成に期待しているからである。単なる受験勉強の出来る人ではなく、多岐にわたる勉強が出来る人材になって欲しいと願ったからである。
日本の国自体が、この20年間に世界の国々から取り残され発言力が失われていくのと同じように、日本の教育界も閉塞感に満ち満ちあふれている。民間企業主導で設立されたこの学園は、日本国内はもとより最前線で外国と伍して競争している企業、特にそのリーダー達の日本という国もしくは日本の教育界に対する危機感の現れだと思っている。この取り組みは始まったばかりである。欧米の名だたるボ-ディングスクールを規範としているが、フロアマスター制度等日本独自のシステムも導入している。発明は得意ではないが、それを独自に開発していくのが日本人の強みである。製品だけでなく、教育においても独自の道を歩み始めた試みに、温かい目で見守ってほしいと思う。成功すれば、その他の教育機関の規範になるし、例えうまく行かなくても失敗から学べることはあるのだから。