田舎者扱い
思い出の短パン
懐かしの田舎っぺ大将の大ちゃんです。
小学校6年生の時、中学受験のため長期休暇の際には神戸の進学塾に通った。もちろん自宅から通えないので、安いホテルに泊まっての通塾である。その塾で、バカにされたことが強く印象に残っている。成績はクラスのビリの方だったが、成績でバカにされた訳ではない。格好で田舎者扱いされたのだ。 当時の神戸の小学生は、夏には短パンに靴下の格好がほとんどだった。田辺では夏でも「Bobson」や「Big John」のGパンが主流だったので、都会っ子の中では、真夏に暑苦しいGパンは奇異に映ったようだ。今と違って自分というものがない当時の僕は、夏休みの終わり間際に、母親にねだって神戸大丸で短パンを買ってもらった。鏡に映る自分の姿に微妙な違和感を覚えた。神戸の塾の皆に短パン姿を披露することが出来ないまま田辺に帰って来て、Gパンが主流の田舎では短パンを穿く勇気もなく、そのまま箪笥の肥やしになってしまった。穿けなかった短パンへの後ろめたさが強烈で、幼心にも短パンは二度と穿くまいと誓った。 高校から大学時代の80年代は、DCブランドブームが日本中に巻き起こった。小学校時の恨み辛みを果たすかのように、セールでブランド品を買いあさり、同級生の間ではプチおしゃれな奴で通っていた。大学も高学年になると、日本のバブル経済もピークを迎え、ファショントレンドはイタリアンに移っていた。3Gと呼ばれたアルマーニ、フェレ、ベルサーチのデニムを父に買ってもらった。流行を追いかけた、時流に乗らされた、時代を謳歌した、そんな大学時代であった。自分に似合っているとか、着ていて落ち着くといったことは二の次で、ブランドタグだけが頼りだった。 社会人になり自分で服を買うようになると、ようやく自我に目覚めた。当たり前の話だが、自分が稼いだお金でモノを買うとなると、選択に十分吟味するようになった。ちょうどその頃、流行を追う虚しさも感じ始めていたので、服を着ることの意味を自身に問いかけた。たどり着いた先が、ヨウジヤマモトだった。ヨウジヤマモトは、言わずとしれたハイファッションブランドだが、蜉蝣の命のように短く、ただ消費されていくだけのファションとは一線を画している。ファションを否定しながらファッションを追いかける、相反する複雑な思いが込められた服を20年以上前から着るようになった。 ヨウジを着ることは、小学校の神戸時代に皆が短パンの中でGパンを穿くよりも、何十倍もの勇気と覚悟がいる。周囲から「こいつ何者?」という厳しい視線を何処へ行っても向けられる。ましてや、袴パンツやスカートを穿こうものなら、「中年コスプレ男?」と冷ややかな視線を浴びせられる。しかし、本人は一向に気にしていない、自分が自分らしくいられるユニフォームだから。逆に、周囲の目を気にして無難に、例えばユニクロを代表とするファストファッションを着たとしたら、それは自分ではない。自分にとって精神的敗北を意味する。 |
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