院長のコラム

田辺祭、初参加

田辺祭、初日

参加することを自分の中で決めたが、実現するかどうか分からなかった。この祭では、京都の祇園祭さながら、八基の「おかさ」と言われる笠鉾が町中を練り歩く。おかさは、旧城下のそれぞれの商人町から出されるくらいのことは知っていたので、本町に住むコンセプトショップ・リンのりんさん(家具店)と籍を置くキリンヤ(靴店)のたっちゃんに、昨年の秋、思い切って相談してみた。敷居が相当高いと思いきや、二つ返事ですんなり快諾が得られた。しかし、酒席上のことなので、言った方も聞いた方も、いつものノリくらいに思われていたかもしれない。
今年、田辺祭の数日前になって、二人から連絡が来た。「ほんまに、曳くんか?」「当たり前やん!」、リンさんからクリニックに半被(はっぴ)が届けられ、二十四日夕刻五時過ぎに闘鶏神社前に集合を告げられた。自宅に帰って半被を広げると、衿元に本町、背中に高砂と大きく記されていた。

当日、指定された闘鶏神社の鳥居の前に半被を着て待っていたら、おかさの一行がやってきた。僕が曳く本町のおかさが先頭だった。本町のおかさには、世阿弥作の謡曲「高砂」に出てくる尉(じょう)と姥(うば)の人形がのせられていた。本町の半被の由来がようやく分かった。
おかさが全部揃うまで、鳥居の参道前でしばし休憩となり、裃を着たりんさんとたっちゃんに本町の方々を紹介された。その中に、「この人、東京から来たんやで。」と背の高いがっちりした体格の青年を紹介された。「田辺の何処出身なん、仕事を休んでわざわざ帰って来たん。」と僕が問いかけたところ、「出身は東京です、僕にはふるさと呼べるものがなく、アート田辺が縁で知った田辺がふるさとのようなものです。」と彼からの返事。当初何を言っているのか理解できなかったが、よくよく聞くと、幼少の頃から父の海外赴任に付いて行き、日本に帰ってきたのが青年期だったそうだ。ふるさとを、物心付いた時期から長い期間育った地域と定義するなら、彼にとってのふるさとは海外になる。
二回目参加の都民に、根っからの田辺市民が、田辺祭の進行予定、決まり・約束事を終始教えてもらった。恥ずかしく情けなかったが、一方、田辺を愛してくれる都民と出会えたことが嬉しく、改めて田辺の良さを知ることになった。

おかさが神社前の参道にすべて引き揃えられ、しばし休憩となり社務所で弁当とビールをごちそうになった。裃を来たりんさんとたっちゃんが裃を脱いで寛ごうとする姿を見て、世話役は本当に大変だな、と心底思った。この炎天下、重ね着でそれも着物である。暑いのはもちろん、トイレに行くこともままならない。時代の変化はますます速くなり、ますます便利さ・機能性を求められるようになるが、この姿は今後も何百年も変わらないのだろう。裃を脱いで情けない格好をした二人を見て、歴史や伝統に想いを馳せた。

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