田辺祭に参加を決める
初めての田辺祭
田辺に両親が定住して、かれこれ四十年、その両親が亡くなって早幾年。僕は、この季節、この歳になってようやく、田辺市民になれたような気がしている。と同時に、なぜこの楽しさを今頃気付いたのだろう、もっと早く知っていたら、この季節をもっと楽しく過ごせたのに、もっと人生が楽しめていたはずなのに、まさに後悔先に立たず、忸怩たる思いでいる。
なぜ、突然こんなふうに思えたのか。それは、この夏、初めて田辺祭に参加したからである。田辺祭は、四百五十有余年続いている祭だそうだ。ちょうど梅雨明けの時期の七月二十四、二十五日に行われる田辺の夏祭、夏の風物詩程度で、僕はその内容を全くといって言いほど知らなかった。昨夏、アート田辺を通じて知り合った写真家の平野功二さんや、アート田辺主催の廣本直子さん、田辺とは縁も由もないアーティスト達に、その素晴らしさをたくさん伝え聞いたが、全くピンとこなかった。
田辺祭の印象と言えば、幼少の頃は、夜店に屋台、お化け屋敷、一昔前なら見世物小屋である。特に見世物小屋の印象は強く、小人・牛女など、今から考えると障害者を見世物にしていたようだ。子供ながらに、見てはいけないものを見てしまった、といういかがわしさを強烈に感じた。中高生の頃は、夜間大手を振って外出出来る集合場所に過ぎなかった。集まって、ただぶらつく、ただそれだけだった。成人して子供を連れて行った時には、突然同級生から「くじ引いていかへんか。」と声をかけられた。遊んだ後、「パパのお友達、何の仕事をしているの?」と聞かれて閉口した。僕の田辺祭に対する印象はこの程度で、決して良いものとは言えなかった。
その僕が昨年秋、なぜか、縁も由もない新宮三輪崎の秋祭りに参加することになった。宵宮では、年季の入った獅子舞を間近に見ながら、嫌というほど酒を振舞われた。本宮では、朝から白装束を身に纏い、ひたすら山車を曵いた。神社では、粛々と神事が執り行われていたが、手伝う方の我々は、待ち時間に休憩所でひたすらビールを飲んだ(相方は、ひたすらお茶を飲んでいましたが)。昼日向から酒を飲んで道路を練り歩く、日々の生活で同じようなことをすれば、すぐに警察に通報される。真昼間から酒を飲んで街を歩いても許されるという開放感と、肉体を使って神事に従事しているという緊張感が何とも心地良かった。
昨秋、地域地域に風習・伝統・文化があることを、身を持って知ることになった。と同時に、自分が住んでいる地域の伝統文化を何も知らないことが明らかになった。地域外の人々からは絶賛され、それでいて僕を含めた地域の人間がよく理解出来ていない田辺祭というものに参加することを決めた。