眼力(めぢから)
中学生になった頃から視力が悪くなり、今や右眼は0.1以下かもしれない。コンタクトレンズという文明の利器のおかげで、牛乳瓶の底のような厚いレンズの眼鏡をかけずにすんでいる。勤務医を辞めて当直することもなくなったので、十年以上前から眼鏡が不要になった。
視力は悪かったが調節力には絶対的な自信があった。どんな小さな文字でも、かつてはいとも簡単に読めていた。四十も半ばになって突然雑誌が読めなくなった。本を読むと目が疲れるようになり読書を遠ざけるようになった。そのうち仕事で使用するデスクトップパソコンまでぼやけるようになった。「視力がさらに悪くなったのかな?」、いよいよ眼科を受診した。「視力は変わってないよ、むしろちょっと良くなっているくらい。けれども、調節力が相当落ちているね。今まで通りの生活でいいならコンタクトの度数は変えず、近くのものはいわゆる老眼鏡を作ったらどう。」主治医からこう告げられた。歳を重ねると体のあちこちが痛くなる。疲れがなかなかとれない。以前よりもぐっすり眠れない。その一方で、「歳のせいにしてはあかん、俺の気力が衰えてきてるんや。」とどうにかこうにか自分に言い聞かせてきた。「老化は目から来るんや。」、眼科医の言葉で生まれて初めて老いというものを実感した。
転んでもただでは起きないのが僕である。「そうや眼鏡を買おう。いっそお洒落な眼鏡を老眼鏡にしよう。」と目論んだ。最初に購入したのは999.9(フォーナインズ)のフレームである。一度視力矯正眼鏡を経験すれば二度と元に戻れなくなった。仕事場、出張先、自宅、自宅も書斎とリビング、と持ち運ぶようになった。持ち運ぶようになると忘れることも多く、近視用眼鏡なしでは日常生活に支障を来すようになった。しかも、頻回の眼鏡の出し入れでメガネケースがいとも簡単に壊れた。「1個ではあかん。」、次の眼鏡を購入することにした。店内のガラスケースに飾られている何百ものフレームから吸い寄せられるかのように近づいた一品があった。アメリカントラディショナルを感じさせつつ繊細で知的、かつ自分の性格とは真逆のシンプルなものだった。収納ケースには○○▽▽□□と刻印されている。それがまさに1980年代半ばハリウッドで創業されたアイウェアブランド、あの有名なオリバーピープルズのものだった。
その後は、転げ落ちるかのように横山やすし師匠状態になった。行く先々に眼鏡がないと公私ともにやばくなった。自分の老いを認識しつつ、アイウェアをさらに楽しんだ。三代目もオリバーピープルズ、四代目以降はとうとうアランミクリまで行き着いた。