祭りのあと
二月十一日、支援していたミュージシャンのライブが紀南文化会館大ホールで開催された。この日のため、我々夫婦と支援者は懸命にチケットを売った。一枚三千円のチケットを売るだけなら意外と簡単だ。福利厚生目的でまとめて十枚買ってくれる社長は何人もいた。けれども、当日来てもらわなければ意味がない。支援者それぞれ、それなりに苦心惨憺した。奇しくも僕は支援者代表に祭り上げられた。僕の性格上、後援会会長として誰よりも責任を感じていた。
売るノウハウなど何もなかった。思案した挙げ句、「これは選挙なんだ。勝たなければ意味がない。そのため、どぶ板選挙をするしかない。」という考えに至った。水曜日の午後の休診を利用してとにかく動いた。田辺市長や教育長に挨拶に行った。市議会議員事務局に出向いてパンフレットも配った。当地方の名だたる企業に電話をかけた、社長さんに企業会員になってもらえるよう直談判するために。当初、「頭を下げられることはあっても下げたことがない俺が何で?」と忸怩たる思いがあった。医者というちっぽけなプライドがあった。けれども、初対面にも関わらずどの社長も好意的で、「先生色々大変やな、少しでも力になりますよ。」と労いの言葉とともに快く会員になることを引き受けてくれた。当初、二十社程度の企業会員を見込んでいたが、どんどん調子に乗って突撃し、最終的には四十社程度にまで膨らんだ。企業会員の特典として今回のライブのチケットが付くようにしていたので、四十社近い企業会員の募集に加えて個人的に売ったチケットも入れれば、夫婦で売ったチケットはゆうに二百枚を超えた。これに、直接紹介や忘年会の催事に招いて売った枚数まで数えれば二百五十枚以上になる。恩義せがましくするつもりはない、ある程度の責任は果たしたという思いだけである。支援者それぞれが自分の出来る範囲で頑張ったおかげで、千二百席あるホールの一階八百席を埋めることが出来た。
当初、一階の一番後ろの席を我々家族で確保していた。予想以上の売れ行きに、コンサート当日は二階席に追いやられた。二階席も半分くらいは埋まっていたように思う。コンサートの内容や感想については、自身言及しないでおく。ただ、多くの知人から、「コンサート良かったよ。」と声をかけられたのは率直に言って嬉しかった。彼らにとって今日がゴールではなくスタートと考えていた僕には、コンサート終了後も満足はしていなかったし、安穏としていられなかった。しかし後日、不安が的中することになってしまった。ある程度の義務を果たした以上、我々支援者には彼らに対して意見する権利がある。チケットを買っていただいた方々に対する責任がある。詳細には触れないでおく。一言で言うなら、裏切りと期待はずれであった。二週間後、私設応援団を解散することにした。
生きている限りゴールはない。例えゴールに辿り着いたとしても、次に新しいステージが待っている。目指すゴールが無くなる時は、即ち死を意味する。逆に考えれば、生きていても目標がなければ死んでいるのと同じである。ある若者たちを真剣に応援して今どきの若者像に直面した。歯に衣着せぬ僕のコラムは、観念的であってならないと自身に言い聞かせている。事実があって、それに対して僕が何を感じたかが重要であると。今回に関しては、抽象的で一方的なコラムに成り下がった。祭りのあとは、虚しさと寂しさが残った。