祭りは、嫌いではないが好きでもない。
十月五日、地元田辺市では「弁慶祭り」が開催された。恥ずかしながら、地元民にも関わらず一度も行ったことがない。家族の誰も行きたいとは言わないし、周囲の人間も誘ってくれない。同時期に開催される花火祭りにも、しばらく行っていない。夜の八時から三十分間バンバンとなる爆音を聞きながら、「ああ、花火祭りやっているんやな。」と夏の終りをしんみり感じる程度である。さすがに、昨日はラグビーワールドカップ・サモア戦があり、花火祭りどころではなかったのだが。
祭りは、嫌いではないが好きでもない。そもそも、祭りがと言うよりも人混みが苦手なのだ。群衆に巻き込まれる、すなわち自分の存在が無くなるという不安に焦燥を覚える。それに、祭りの後の寂寞感が妙に嫌なのだ。説明は難しいのだが、感覚的にはチューブの「シーズン・イン・ザ・サン」や「あー夏休み」を聞いた後、オフコースの「夏の終り」や「秋の気配」を聞くのと覚える感覚と同じなのだ。何か物事が終わりを告げようとする瞬間の切なさが忍びない。夏の風物詩でもあり祭りと言えば、当地では白浜の花火大会が有名である。それこそ、最後に行ったのはいつだろうか。こちらは切なさや悲しさよりも、いい場所を確保するための準備と二時間を要する帰宅時間を考えただけで吐き気を催しそうになるため、鼻から考えたことがない。
話は随分変わる。毎年九月になると、お祭り騒ぎのようにアップルの新製品情報が各メディアを賑わす。祭りが苦手な僕は、もちろん興味もなければ踊らされることもなかった。PCはMacBook Pro、携帯はiPhoneとアップルユーザーである。けれども、個人用PCは日常使いに不便がないので耐用年数を優に超えた。iPhoneも自分の型が何か先日まで知らなかった。通話とLINEしかしないので、普段の生活では全く支障がなかった。むしろ、ヨウジヤマモト謹製ゴシックのiPhoneレザーケースにひび割れや剥がれが目立つようになり、こちらの方をどうするか心配していた。他人がどのような携帯を持っているかなんて全く興味がなかったし、周囲で携帯電話を駆使している者もいない。家族も僕以上のiPhoneを持っていないし、欲しいとも言わない。まさに、知らぬが仏であった。
目覚める時が来た。待ちに待ったウルスが納車された。オプションをオーダーする際、CDやDVDがあったような気がするがコスパが悪いので付けなかった。TVチューナーももちろん付けなかった。ディーラー担当者に「(TV)キャンセラー付けられますか?」と僕、「原則、走行中にTVは見てはいけませんよ。」とあまりの官僚答弁に閉口した。「まあいいや、近頃のヒット曲なんて知らないし、カラオケ大会でもそんなに時代遅れでもないし。USBのコネクターに手持ちのi Podをつければいいや。」気楽に考えていた。しかし、NSXで活躍したi Podをウルスに繋いでもうんともすんとも言わない。「指し方が悪いのかな?指す場所が悪いのか?」、何度繋げかえても一向に反応しない。「イタリア製品はやっぱりな。」、初期不良と勝手に重い込んだ。