再び、海陽学園へ
Google analyticsによると、院長コラム、自称駄ブログで最も長く読まれ続けているのが「海陽学園」関連のようだ。詳細までは分からないが、半年もしくは一年という長期間を設定して検索をかけると、必ず「海陽学園」ものがトップ10に上がってくる。卒業生の保護者にとっては、もう済んだことで興味が失せているに違いない。そんな僕も、大学受験が一段落する頃、学園のホームページで卒業生の進路状況を覗く程度である。現役生の保護者にとっては、現在進行系の我が子のことに手一杯で、かつての保護者の感想など耳に届かないことだろう。となると、学園に興味を持っている方、もっと言えば入学を考えている保護者が何らかの形で地方診療所の週間日記にたどり着くのだろう。
次男の学園での成人式を終えて帰途につく際、校門を出て振り返った学園の光景を見て「何度も何度も通ったけれども、もう二度とこの地に足を運ぶことはないだろうな。」、校門を背にして建設中のラグーナベイコートを仰ぎ見て「随分と風景が変わったな。」感慨深かった。それは決して晴れやかなものではなく、釈然としない複雑なものであった。学園に送ったジュニア一号、二号とも二浪したという拭えない事実があった。我々夫婦が通い始めた頃のぽつんと佇む学園の情景は様変わりしていた。この場でも、「さらば海陽学園」というタイトルで辛かった胸の内を当時綴っている。久しぶりに読み返すと、「随分と強がっているな。」率直に感じた。約二年経った現在、単刀直入に言えば、忘れ去られた「良い思い出」に過ぎなかった。
今夏、突如として、かつての保護者からメール連絡が来た。もう関わることはないだろうと思っていたが故に、メールに目を通すことはなかった。一度だけならそのままスルーされていたが、その後も何度かメールが送られてきた。「今頃というか、今更というか、一体全体、何?」訝しがりながら内容を確認した。今秋、学園において卒業生が一同に集う会を開催すること、その会には保護者も含めた卒業生に関係・関連した人々も参加可能なことが書かれていた。その名も、第一回ホームカミングデーだった。時代は便利になったものだ。直様ネットで調べたところ所謂同窓会なのだが、日本ではその多くが高等教育機関(大学)において年に一度開催されている大事な行事のようである。
しっかりメールを確認した時には、もはや締め切り間近だった。もちろん、長男・次男抜きに夫婦で会に参加することははばかられた。二人に確認の上、出欠の返事をすることにした。それは即ち、二人の学園に対する思いを確認する行為でもあった。右も左も分からない小学生に親のエゴを押し付けたのではないか、答えを聞き出せないまま時が過ぎた。その答えを、ある意味確認できる時が来た。
十一月二日土曜日、診療終了後、愛知県豊橋に向けて車を走らせることになった。「(海陽)学園のイベントに行くんか?」二人に問うたところ、長男は行くつもりだったとのこと。次男は生憎、野球の試合があったようで「行きたいんやけど、行けんのよ。」との返事。ということで、我々夫婦も第一回ホームカミングデーに参加することにした。学園に対して、二人とも忌避感を抱いていないことを知ってやや安堵した。今でこそ話せることだが、僕自身、一回目の高校の同窓会には参加しなかった。自分にとって高校時代は七転八倒の三年間で、終始曇天に覆われていたような気分だ。案内状を見て、「クソ喰らえ!」破り捨てた。