終わりは突然に
長男が高校三年生になってから、あしかけ六年も受験生の親をするはめになった。この六年間、誰かしら受験生なので家族旅行することが出来なかった。年末年始を迎えると戦闘モードというよりも、どんよりモードに突入である。センター試験が終わったと言えばがっくりし、その後の私立医大の受験結果を聞いてはため息をつき、前期試験の結果で意気消沈。この期間、毎年必ずと言っていいほど同じような夢に僕はうなされた。共通一次試験の結果が散々だった、医大に合格できなかった、医大で進級できなかった、医師国家試験に落ちた。夢であることをおぼろげに意識しているもののあまりにリアルすぎて、夜間何度も目を覚ます日々を過ごすのだ。何度、桜の季節を恨んだことだろうか。
昨年、長女は志望校の理学部合格を果たせなかった。浪人するにあたって、突如として医学部に進路変更をした。これには両親もびっくりした。僕を反面教師としてか、中高と医学部受験を全面的に否定していたからだ。医学部受験は難関である。そのためには、中学生の早い時期から対策を講じなければならない。スタートがそもそも遅いため方向転換を疑問視していたが、曖昧な将来を観念的に話すばかりの娘がようやく具体的かつ現実的に未来を語るようになった、信頼する他ない。二人の兄の教訓を生かして、大手予備校ではなく中規模の医学部専門予備校を選択した。水を得た魚とはこういうことを言うのだろう、意外や意外、二人の兄と違って順調に成績を伸ばした。秋頃の模試では志望校判定にBが出るようになった。
平成最後の年が明けたら受験モードである。第一志望は国公立、試金石として関西の私立医大二校を選択した。センター試験は多少のミスはあったようだが、医学部の平均ボーダーを上回り、三人兄弟の中で一番の結果を出した。直後のセンターリサーチでは、志望校判定が限りなくA判定に近いBが出た。その後の私立医大も、正規合格に至らなかったがいわゆる補欠合格を勝ち取った。二人の息子で苦闘と苦悩、そして苦痛を十二分に味わっていたので、拍子抜けするくらい順調に物事が進んでいった。二次試験前の予備校での面接も、講師から厳しい言葉は投げかけられなかった。あまりに首尾よく運んだためか、いつも見ていた悪夢は全く見なかった。今から考えると、油断大敵、好事魔多しとはこのことを言うのだろう。楽観的に考えていた僕の雰囲気が娘に伝染したのかもしれない。まるで潮目が変わったかのように、二次試験は前期・後期ともに残念な結果となってしまった。
最終的に、今春、娘は関西の私立医科大学に進学することになった。突然の医学部への進路変更にも関わらず想像以上の点数の伸びに、両親としてはもう一年頑張ればと淡い期待を抱いた。一番悔しい思いをした娘も、クラスの仲間の大半が国公立合格を勝ち取って行く中で忸怩たる思いをしたはずである。医学部合格はおめでたいことだが、残念ながら第一志望校ではなかった。二人の兄が合格した時は、長く続いた寒い冬を乗り越えた喜びが爆発した。けれども、今回は、「えっ?もう春が来たの。」、「これで終わり?」狐につままれた感が拭えない。親子ともども平成最後の三月は釈然としない日々を過ごすことになった。(つづく)