習い事のすすめ
五十前の手習い第三弾
「やさしい写真教室」の三ヶ月間の講習が終わった。次のステップへ進みたかったが、曜日と時間が合わずこれで一旦終了となった。絞りやシャッタースピードを意識した撮影のレベルにまで達しなかったけれども、取扱説明書をじっくり見直すいい機会になった。安いカメラでも十分な機能が付いていること、それを全く使いこなせていなかったことがよく分かった。何よりも学んだことは構図のとり方だった。少し角度や視線を変えるだけで、被写体の背景を少し工夫するだけで、写真の表情が一変することが理解できた。何らかの形で写真撮影の勉強をしていきたいと考えている。
六月最終週から新たな試みを始めた。五十近い人生、今まで何度も取り組んできたが、その都度断念・挫折してきたことに背水の陣で取り組もうと考えている。
友人の不動産会社専務と飲食をして盛り上がると、「それでは、ちょっとだけ行きますか?」と浜田省吾(浜省)ファンのママがしているスナックに足を運んで、ママを無視して浜省の曲を交互に歌いながら二人だけの世界に入り込む。一時間ほどさんざん歌って、最後に「ギター弾きたいよね。」という言葉にいつもたどり着いていた。二人の間でギターを習うという意思統一は出来ていたが、習う日時や先生でずっと機会を探しあぐねていた。様々なご縁があり、飲み屋での戯言がとうとう実現化する時が来た。
第一回目の授業は、六月二十四日の夕刻だった。長短はあるが白髪交じりの冴えない男二人がギターを片手に車から降りるや否や、教室を提供しているオーナーから「おっ、ミュージシャンみたいやな。」と冷やかされた。
僕は簡単なコードくらいは押さえられたが、専務は全くの初心者だった。それではと先生が、「基本の基本から教えましょう。先ずは、ギターの一番上の弦が第六弦です。」と説明したところ、「へえそうなんですか、先生ちょっと待って下さい。忘れたらあかんからノート取りますわ。」と専務。「・・・?(あんた六弦しかなくて一番上が六弦なんやから、そんなんノートにとることか。見れば分かるやん)」と僕は内心絶句した。二人の最初の教室は、まるで弥次喜多だった。一時間があっという間に過ぎた。
習い事は本当に良いことだと感じている。スイミングしかりカメラしかり、自分の余暇の過ごし方に彩りを添えてくれる。仕事上のストレス発散にもなる。長い目で見れば、健康維持やボケ防止にも役立つ。学ぶことによって、歩みは遅くても自分自身が進化していることを実感できる。学ぶことにより意外なことも分かった。習い事に、その人となりが表現されることを。酒席でいつも馬鹿話している専務が、習い事では馬鹿がつくくらい真面目で几帳面なことにびっくりした。おそらく普段の仕事でも同じなのだろう、彼の違う姿を垣間見た。
この年齢になっても、まだまだ学ぶことが多いと実感している今日此の頃である。