親馬鹿なバカ親とその子(1)
今春、長女が医師国家試験に合格。親としての子育て責務からようやく解放された。コラムに何度か書いてきたように、男より一筋縄ではいかない女子。高校時分、「医者なんて絶対にならない!」と父親を全否定するかのような発言に終始。にも関わらず一浪して関西医科大学に入学。模擬試験において地方大学医学部A判定を受けるレベルに達していて、二浪すればと家族の誰もが思った。「もう無理、限界!」と親の懐具合を無視してあっさりと私立医大入学。それでも、進級できるのか、いつ退学するか冷や汗ものだった。あろうことか兄妹三人の中で一番成績が良く、順調に進級し卒業、国家試験の結果も三人の中で一番良かった。社会人として世に送り出すことが出来たものの、この場で語ることの出来ないハプニングの連続に今でも翻弄されっぱなし。きっとこれからも彼女の言動に振り回されるに違いない。そんな彼女だが、思いも寄らない誇りにできる出来事があったので親馬鹿と思って読んでほしい。
彼女は高校時代から映画好きで、勉強の合間によく映画を見ていた。趣味が高じてか、医学部入学後、「将来、映画監督になりたい」と言い出した。「職業訓練学校に入学したのに何を考えとるんや!」と否定すれば、彼女のことだから「医学部辞める!」と言い出しかねない。「大森一樹監督もいるくらいだから両立して頑張れば」くらいになだめた。すると彼女の行動力は凄まじく、大阪から東京へ夜行バスに乗って飯塚健監督のワークショップに定期的に参加するようになった。そこに集う俳優さんに触発され、今度は「俳優を目指したい」と言い出した。その会で中川大志君や伊藤沙莉さんに会ったと伝え聞いたことも。医学部出身のタレントはいても女優は聞いたことがなかったから、「頑張れ、応援するよ!」と両親が意気込んだ。大学四年生前半までは、講義が主体で出欠をある程度コントロール出来た。しかし、四年生後半ともなると臨床実習が始まりそういう訳にもいかなくなり、ワークショップに参加できなくなった。加えて、役者一筋の人々と医学の使徒たる医学生の役者魂の乖離に興味や情熱は失せたようだ。
「夢破れてこれで落ち着くだろう」と思いきや、興味の方向性が変わったに過ぎなかった。幼い頃から英会話教室に通わせたことが功を奏したのか、中高生時代、英語の成績だけはずば抜けてよく、大学入試センター試験でも満点に近い成績を修め理数の弱点を穴埋めした。英語に対して心理的ハードルが低いから、家庭教師で得た報酬を格安弾丸ツアーに使い、ヨーロッパや東南アジアに一人でぶらりと出かけていた。突然電話がかかってきたと思ったら、「今、香港。ホテルやばいわ。襲われるかもしれん」なんて連絡してくる。(つづく)