院長のコラム

長い髪

2011.09.25

苦労をすると・・・

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先日、和歌山での研究会に参加して来た。久しぶりに会った先生から「大丈夫か、苦労しているんとちゃうか。大分白髪が増えたな。」と感慨深く声をかけられた。
亜麻色の長い髪の乙女なら、風がやさしく包みこみ周囲は恋の予感を想像してくれるのだろう。それが、白髪が目立つ長い髪の40男なら人生の悲哀を醸し出しているのだろう、その先生は開業したことを知っているのでとても心配してくれたようだ。

社会人になって髪を伸ばしている男性は、相当奇異に映るようである。初対面の人からほとんどといっていい程「何の職業をされているのですか。」とか「アーティストさんですか。」と聞かれる。先日訪れた韓国でも同様で、医師であることを告げたら「お医者さんですか?韓国でそんな髪型をしているのは大体芸術家ですよ。」と怪訝そうに言われた。
それくらいならまだましで、息子の保護者参観に訪れた際には、授業の合間のトイレ休憩で息子が友人から「ロン毛の父親おったけど、あれ誰の(父親)かな。」と聞かれて、思わず「さー?」と知らぬ存ぜぬで答えたらしい。

改めて、なぜ僕は髪を伸ばしたのだろう、と考えてみた。
医師という社会的地位が高く堅い職業というステレオタイプな世間のイメージに抵抗しているのだろうか。ヒッピーのように既成の価値観に、あるいは全共闘のように既存の体制に異議申し立てをしているのだろうか。
はたまた、髪の毛が寂しくなった同年代の男性に優越感を感じたいがためだろうか。逆に、薄くなった同世代の最後の砦として頑張っているのだろうか。
それはあくまでも個人的なもので、単なる自己顕示欲を満たすだけのものかもしれない。あるいは孤独の裏返しで、「ここに僕がいるよ。」と自分の存在を知って欲しいのかもしれない。
こう考えると、男ってつくづく悲しい存在である。髪は伸ばせない、化粧は出来ない。胸元、手指に宝石を身に纏うことはできない。服だって女性と比較すればかなり制限されている。スカートを穿いて喜んでいるのは、本物の方か、我らヨウザーかギャルサー(コムデギャルソンマニア)くらいである。やっぱり男は高倉健さんのように背中で表現しなければならないのだろうか。それなら、少し猫背でなで肩の僕の背中は到底無理である。

マーティン・スコセッシ監督の「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」を思い出した。ボブ・ディランの名前は良く知っているが、経歴・足跡はほとんど知らない。僕の尊敬する佐野元春さんや山本耀司さんが影響を受けたミュージシャンということでベストアルバムを購入してみたが、歌詞が分からないので特異な声と歌い方が耳に残っただけである。CDケースに仕舞っておいたら、いつの間にか息子に持って行かれた。
ボブ・ディランは、フォークソングの旗手的存在、あるいはメッセージソング・プロテスタントソングを歌う時代の代弁者として捉えられていたようである。しかし、その映画のインタビューの中で、自分は時代の代弁者ではない、その歌詞も皆が解釈するようなメッセージを込めていない、と迷惑げに答えていたのだがとても印象的であった。

なぜ髪の毛を伸ばしたのか、今となっては良く分からない。「少し伸ばしてみましょうか。」と美容師に提案されて以降現在に至っている。ここまでくれば、髪を切るのがもったいない。洗って乾かすだけで手入れは簡単である。年に3~4回程度の散髪なので経済的である。髪を束ねれば、中途半端な長さの髪の毛よりもよっぽど清潔感がある。ここまで来たら、切る理由が見当たらない。
一見信念に基づいた長髪のように思われるが、あまり考えていなかったことが自身分かった。意識しなくても、それがいつの間にか自分のアイデンティティーになることがあるようだ。

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