長嶋、医者やめるってよ!(前編)
今年の2月頃だったろうか。高校同窓会幹事会のあと、後輩二人と居酒屋で食事をしていたら妻から携帯に電話が入った。「今日いつ帰ってくるの、◯◯(長男)が大事な話があるって。」という内容だった。前もって食事会のことを話していたので、急用でない限りこんな電話をしてくることは滅多にない。「明日も仕事があるからそんなに遅くはならんよ。」と答えながら、大事な話の内容はうすうす感じていた。というのも、ちょうど同じ頃、ゴールデンウィークの旅行予定を立てていた。子供達にそれぞれの予定を尋ねていたら、「今年の休みは比較的余裕を持って休めるよ。」と長男からの返事。研修医とは言え、重要な戦力であることに違いない。世間一般的には長期の休暇であっても、公的病院は暦通りに診療し、休日にも当直や自宅待機等がある。自分のことで考えれば勤務医時代ゴールデウィークに旅行した覚えがないから、旅行可能な休暇がとれることに違和感を覚えた。
以前このコラム内で書いたこともあるが、診療所名を「長嶋雄一クリニック」としたのには大きく二つの理由がある。一つは、医療の現場で学んだことや習得したもの、両親から継承したもの、日々の生活で実感してきたこと、すべてを具現化するため、クリニックの屋号に自分の名前を冠することは必然だった。それはすなわち、クリニックは唯一無二のものであり世襲することはないという子供達への宣言でもあった。それが二つ目の理由。したがって、嘘と思われるかもしれないけれど、子供達に医学部に行きなさいと言ったことは一度もない。自立と自律を涵養させるため、長男と次男は中高一貫の全寮制男子校を選択した(子供達の言葉で言えば、投げ出され放り込まれたそうだが)。
思春期を多くの仲間達と切磋琢磨する中、嬉しい誤算だがいつしか二人とも医学部を志すようになった。二人とも同じように二浪したが、どうにかこうにか国公立医学部に滑り込めた。昨年、長男は医師国家試験に合格し、医療人としての第一歩を母校がある県内の公的病院で踏み出したばかりである。ちなみに、長女は和歌山市にある私立の中高一貫女子校に入れた。朝早くの起床に電車での長時間の通学がたたったのか、心身に不調をきたし学校を休みがちになってしまった。大学受験どころではなかったが、本人の頑張りもありどうにかこうにか留年しない程度に進級できた。父親と二人の兄への反発が相当あり、「絶対に医学部には行かない!」が口癖だった。現役生の時、志望した工学部の試し受験のため私立薬学部を無理やり受けさせた。合格したにも関わらず、「医療関係には絶対に行かない!」と浪人の道を選択した。それが今や何の因果か、私立医大生として嬉々としている。
前置きが相当長くなった。コロナ禍中ということもあり、午後10時前には帰宅した。妻は何やろうとあたふたしていたが、何となく事態を察していた僕は泰然自若としたものである。長男に電話をしたところ、想定範囲内だが重要な話に違いはなかった。