闘牛への道(いよいよウルス納車)
僕が小学高学年の頃、スーパーカーブームが日本中に巻き起こった。少年ジャンプに掲載されていた「サーキットの狼」がブームの火付け役だった。当時、全国各地でスーパーカーを一同に介した写真会が開催されていた。僕も親からカメラを借り、近隣で開催されたイベントに母だったか連れて行ってもらったのを覚えている。カメラの何たるかを全く理解していないガキンチョが撮った写真なので、現像されてビックリ、ピンぼけ三昧、ピントが合っていたとしても構図が全くなっていない。24枚撮りのフィルム3本を使って、何とか人に見せられるのは10枚あるかどうかだった。結局、カメラ小僧が撮ったきれいな写真を1枚100円弱で購入してコレクションしていた。当時、フェラーリとランボルギーニに人気が二分され、僕はどちらかと言うとフェラーリ派で、512BBの流麗なラインが好きだった。あれから三十有余年が経過した。
院長コラムで「闘牛への道」が続いている。自慢する気は微塵もなく、ただただひたすら感慨深いのだ。「父親と同じように内視鏡で地域医療に貢献したい!」それだけの思いで起業した。「贅沢な生活をしたい!」「儲けたらランボルギーニに乗ってやる!」、なんて露にも思わなかった。自分の信念を伝える革新的なクリニックを作りたい、開業コンサルタントからの提案は全く無視、予算は二の次、とにかく細部に渡ってこだわった。もちろん、開業の暁には強い確信があった。ところがというか案の定というか、全く患者さんが来ないのだ。開業初期の院長コラムを読み返すと、迷い・不安・失望が読み取れる。「開業しなければよかった」、後悔を汲み取れる文章も散見される。反面、自身を鼓舞するような強がる自分もいる。それが月日とともに、前よりはほんのちょっと良いレクサスに乗れるようになり、「これ絶対に欲しい。」心底思えたレンジローバー・イヴォークを購入できるようになった。開業十年目には、十周年記念および母親よりも長く生きた証としてホンダNSXの購入に踏み切った。揺るぎない信念と頑張りは、ゆとりある生活に帰結した。受診してくれた患者さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
ディーラーから六月末のウルス納車が伝えられた。頭金を入れてから約二年、待ちに待ったウルスが来るのだ。高ぶる気持ちとは裏腹に、ちょうどその頃、大阪ではG20サミットが開催され大規模な交通規制が敷かれていた。そのため、納車は翌週に持ち越されることになった。七月第一週目の週末はあいにく、ディーラーでイベントが開催され納車は困難とのこと、最終的に、平日午後休診日である水曜日、七月三日に納車日が決定した。予定時刻を超えること三十分、小雨そぼ降る中、トレーラーに積載されたウルスがクリニックの駐車場に現れた。あまりのいかつさに一瞬たじろいだ。担当者からの説明を一時間弱と見込んでいたが、見るもの触るものすべてが未知、一時間半以上の説明を聞いて、「一回では無理無理、絶対に無理。」と内心思いつつ、「すいません、ちょっと用事があるので不都合があれば、また連絡させていただいていいですか?」と説明を中断してもらった。僕の座右の銘の一つに「事上練磨」がある。様々なメーカーの車を経験してきた僕である、「何とかなるさ!」、説明よりも先ず体感し経験して、そこから学ぶ。と逸ってみたものの、その先に苦難、困難が待ち受けているとは、知命を迎えた僕が知る由はなかった。