闘牛への道(堕落の道)
「車にお金をかける奴はろくでもない。経営者としてもあかん!」、何度もこのコラムで書いてきた。高級車に乗っている人への偏見、もしくは嫉妬だったのかもしれない。「いつでも乗れるけれども敢えて乗らないんだよ。」とやせ我慢していたのかもしれない。「ベンツなんか何時でも乗れる。乗れるけれども敢えて乗らない。それが男の美学なんだ。」、亡き父が若き僕に常々言っていた家訓である。かつての僕の信念はオヤジの受け売りではない。当時、その言葉を聞きながら内心、「何も最高峰のベンツを買えと言ってるんとちゃうで、一番下の190(現Cクラス)でも一回買ってみたら?」、体験する前からベンツと言うだけで門前払いする頑な父に妙に納得いかなかった。
かつての自分の車購入限界値は千三百万だった。レンジローバースポーツオートバイオグラフィー、V8の5Lスーパーチャジャー510馬力。当時、清水の舞台から真っ逆さまに落ちた気分だった。「もうゴールや、もう十分(な馬力)。」と幸福感を噛み締めた。ところが、人間の業の深さを改めて知ることになった。馬力がいくらあってもスピードを出せない、制限速度は全国津々浦々決められている。とても良い車にも関わらず、なんだか飽きてしまった。二年ちょっと乗ったある日、たまたまレクサスに立ち寄ったところ、担当者がレクサスLXを勧めに来た。V8の5.7Lの排気量だが馬力は377しかない。しかも、レンジローバースポーツよりもはるかに重たい。「クジラみたいな車に今更乗れるかよ。」心の声が脳内に響いた。「まー、そう言わず、査定だけでもさせてくださいよ。」、付き合いが長いので渋々了承した。ところがあらあら、後学のために買取業者に査定させていた額よりも百万円以上上乗せの査定がつき、追い金は二百万と言うでないか。妻の「もう外車はいいんとちゃう。」の声が後押しした。車の購入で初めてステップダウンした。「後は(車を購入する限度額は)横ばい、もしくは右肩下がりかな。」、そう自分に言い聞かせた。なので、僕にとっての高級車は千五百オーバーだった。
僕はNSXを買ってしまった。かつての僕は、今の自分にきっと罵声を浴びせかけるに違いない。「消費社会の裸の王様!」「日和見主義者!」「自己中野郎!」と。学生時代の夢や想い、両親との関係性や関連性をいくら吐露しても、自分の想定範囲を有に超えた車を購入したことは明白な事実である。僕は物質主義者で、体制側の番人になってしまった。僕は堕落してしまった。と同時に、急に視界が広がった。二年前の夏、NSXが納車される二ヶ月前のことである。ソファに寝そべりyou tubeを見ながら、「俺もNSXのオーナーにとうとうなるんやな、、、」「???、ってことはフェラーリやランボルギーニも買えるんや。」ふと閃いてしまった。