陶芸を楽しむ会
勝手気ままな会
人が集うことが好きだ。人と素敵な時間を共有することが好きだ。
なので、勝手に名前を命名しては食事会を開催している。時計を楽しむ会、ワインを楽しむ会、和装をする会、美味しいものを食べる会等々。会の趣旨は有ってないようなもので、おいしい食事とお酒、それにみんなの笑顔があれば最高である。
少し前のことになるが、3月19日に「陶芸を楽しむ会」を開催した。御縁があって出会えた若き信楽焼の作家、篠原希氏がわざわざ田辺に来てくれた。冗談5分の4で話を投げかけたところ、倉敷での展覧会が終わったばかりにも関わらず、冗談が実現化した。まさかの返事に、多方面に声をかけてみたところ、声をかければかけるほど参加したいという方が多かったので、今回は12人程度のほぼ内輪の会にした。
我々も初めての会なら、個展や陶芸展などに慣れている作家も、飲食しながらの展示会は初めてである。どのように会を進行していくか自身若干腐心したが、悩んでも解決しないので、食事が第一、異業種交流が第二、そして器が第三、あまり堅苦しくない雰囲気の会を目指した。
いつもお世話になっているビストロを貸し切っての会になった。作家は随分早くからお店に来ていたようで、僕が19時開始30分前にお店に行った時には、花瓶・壺・器が店の所々に飾られていた。1枚板のカウンター席には、ずらり作品が並べられていた。
作家は資料を用意したり、i-padで日頃の作業を録画したものを見てもらえるように準備してくれていた。初めての会で緊張していたのか、緊張をほぐすために先にビールを飲んでいたが、緊張の色は隠せず汗をたっぷりかいていたのを僕は見逃さなかった。
「あまり緊張せずに、気楽に行きましょう。」と声をかけて会が始まった。始まるやいなや、そこここで陶器と関係なく会話が弾んだ。若いとは落ち着きがないことである(雄一談)、あちこちで盛り上がっているのを確かめて、若き作家は黙っているのが堪えられないのか動き出した。I-padを片手に3、4人にグループに飛び込んで行った。遠目に見ていたが、トリビアの泉ではないが「へえー」があちこちから聞かれた。
料理が一段落したところで、いよいよ趣旨に基づいてカウンターに並べられた陶器を皆がじっくりゆっくり見だした。
先入観は怖い、つくづくそう思った。将来を嘱望されている作家、信楽焼、斯界の受賞者、肩書は何となくすごい。色眼鏡で作品を見て皆一旦躊躇するが、裏に貼られている値札を見てさらにびっくり。「えー、安い。」「ありえへん。」「乳飲み子のために、ちょっと買ってあげようかな。」
後から聞いたところ、清貧の作家がとても喜んでいたそうだ。展覧会をすれば、どうしても仲介者・展示場に一部仲介料を取られる。今回は仲介業者もなければ、会場料もない。売った分だけ、自分の収入になる。会に参加した人が喜び、その喜んだ人が器を買って喜び、売った作家もまた喜び、これこそオールウィンの関係である。
最後に。
今度生まれてくる時は、クリエーターになりたい、と思う。クリエーターは作品がすべてだ。クリエーターがいくら言葉を紡いでも、作品が良くなければ、人の琴線に触れなければ評価されない。「俺は医者だ!」とわめいて、社会一般では何となく評価されるが、それが何なのか確かなものは何も残らない、クリエーターと違って。
名誉や肩書や社会的地位ではない、何を自分が残し残せたのか、それがすべてだと意識するようになった今日この頃である。以前よりも達観している自分を、もう一人の自分が「いよいよ、あなたも棺桶に片足を入れたのかな?」と不安に感じている今日この頃でもある。