食わず嫌い
いきなりだが、ルイヴィトンは好きではない。しかし、嫌いな訳でもない。かといって、プレゼントされてもあまり嬉しくないような気がする(ちなみに、プレゼントをすることはあっても、スタッフを含めてプレゼントをされるような人はいなくなりました)。正直なところ、ルイヴィトンを持つことに興味がないのである。猫も杓子も、誰も彼もが持っているので、憧れのブランドと言うにはあまりに身近過ぎるような気がしている。アイコンであるモノグラムやダミエが全てを語っている。ルイヴィトンであることが一目瞭然だ。
都心部のルイヴィトンショップのショーウィンドウに飾られているバッグを見て、ふと店舗に入ることがある。ルイヴィトンに対して、あまり良い印象を持っていないオーラが出ているのか、一度たりとも声をかけられたことがない。僕がルイヴィトンのスタッフなら、僕のような人間にはきっと声をかけない。我ながら、ダボダボの黒尽くめの人を見ると思わず振り返ってしまう。黒尽くめは、いつの時代もいかがわしさが漂っている。如何わしい格好にルイヴィトンのバッグは、焼肉にこってり豚骨ラーメンだ、濃すぎる。何でもそうだが、バランスが大切だ。
黄金週間に大阪に行った。いつも寄るところは決まっている。夫婦ともどもY-3に必ずと行っていいほど立ち寄る。梅田阪急のアーケードを、いつものごとく足早に立ち去ろうとしたところ、思わずショーウィンドウに釘付け状態になった。ダ・ビンチ、ゴッホの絵画が大きく飾られていた。近づいてみるとバッグも展示されていた。全体を見回してようやく理解できた、それが、いわゆるヴィトンのショーウィンドウであることを。いつもならルイヴィトンというだけで通り過ぎるところなのだが、その日だけは違った。吸い寄せられるかのように店舗を探した。
案の定、梅田阪急のルイヴィトンショップは大勢のお客さんでごった返していた。そのショップにどう見ても似つかわしくない二人が、絵画のようなバッグの前で佇んでいたところ、初めてスタッフから声をかけられた。初めての優しさが身にしみたのか思わず聞き入った。それは「MASTERS」というコレクションらしい。誰もが知る名画を、現代アートの巨匠ジェフ・クーンズのフィルターを通して再解釈したコレクションのようである。ファッションとアート、古典と現代、トリプリネームのコラボ、思わず内心呟いた「間違いない!」と。けれども、値段も間違いなかった、通常ラインの2倍近くする。ルイヴィトンはあまり好きではないけれども、これならプレゼントして欲しいと心底感じた。しかし、プレゼントしてくれる人はいない。店舗前で立ち尽くす僕、堂々巡りの思案の末、決意した。これも何かの御縁、一番安い「MASTERS」を購入した。
食べてみれば意外と美味しかった、買ってみれば意外と満足した。食わず嫌いはいけない、食ってはいないが買ってみて理解した。