2021東京五輪の夏
今年の夏は、例年以上に暑いように感じるのは僕だけだろうか。当地は、梅雨入りが5月中旬とかなり早く、梅雨明けは例年より少し早い程度だった。ということは例年になく長い梅雨だった。去年は梅雨開けが8月上旬と、なんだか中途半端な夏だった。おそらく今年はその反動に違いない。歳をとっても肌感覚だけはしっかりインプットされているようで、とにかく今年は暑い。今夏は、クリニック敷地全体をアスファルトで覆った初めての夏でもある。自院に車を停めた瞬間から照り返しが眩しく、昼頃になると敷地全体が車のボンネット状態である。「神様、慈雨をお願いします。」、診察室から内視鏡室へ移動中、何度も祈っている。今年の夏が暑いのは気温のせいだけではない。東京五輪が連日、心を熱くさせている。
五輪が始まるや否や、言わずもがなの事態である。分かってはいたが、メディアの手の平返しにはうんざりを通り越して反吐が出る。フリーアナウンサーの宮根誠司氏が自身の番組で、「テレビは手のひら返しとよく言われるけど、開幕すれば応援しますよ、僕たちは。手のひら返しします!」と言い切ったことがネットニュースで話題になっていた。「ある意味、潔い!」という評価もあるようだが、そもそも彼は「他人の不幸は蜜の味」を体現化した人物、と僕は考えている。芸能・政治スキャンダルはもちろん、事件、事故、災害がきっと嬉しくてたまらないのだろう。その程度が大きいほど、嬉々とした表情が画面からよく伝わってくる。彼だけではない、所詮ワイドショーなんて目糞鼻糞である。真実を伝えようとする姿勢の欠片もない。視聴者目線と言いながら、視聴者をバカ扱いした切り取りレッテル情報を垂れ流しにしているだけだ。
オリンピックを無観客開催するとのニュースを聞いた時、僕は腹立たしさを覚えた。東京都議選の結果と小池知事に政府がおもね、コロナ禍でのイベント開催を模索してきた人々の努力を踏みにじる決断と腸が煮えくり返った。しかし、振り返ると賢明な判断だったようだ。緊急事態宣言下に無観客ということは、「五輪は自宅で見てくださいね。」というメッセージを発信したことになる。現在、COVID-19はかつてないほど猛威を振るっている。歴史に残る政治判断を無視したのは一体誰なのだろう。もしガイドラインに沿って有観客にしていたら、と考えるだけでゾッとする。マスゴミが、鬼の首を取ったかのように五輪開催と感染拡大を結びつけて政府批判をしていたことだろう。
僕は当初から「東京五輪は開催すべき!」が持論だった。オリンピックが崇高な理念をいくら掲げても、所詮はスポーツ興行である。興行主に対して頭を下げて開催場所を提供したのが東京都であり日本国なのだ。もし、興行主を無視して東京都が開催を破棄したら、それは契約違反であり世界における日本への信用と信頼は失墜していたに違いない。質素で雑、見応えのない開会式には閉口したが、現在出来ることを懸命にした結果と考えれば納得せざるを得ない。始まってしまえば、連日、興奮と感動を覚えた。アスリート達から、五輪に参加できたことへの喜びと開催してもらえたことへの感謝の言葉を聞く度、心が熱くなった。賛否両論、紆余曲折のあった東京五輪開催だが、生きている間に自国開催の五輪を経験できたことは僕の人生の財産になった。十年後、「コロナ禍を克服して挙国一致で乗り切った東京五輪」というデマが流れないよう、直前まで8割近い国民が開催に反対し、マスゴミが政権批判のダシに徹底的に使ったことを、2016夏に記しておく。違う意味で、冬季北京五輪が楽しみだ。