2025年 年始(前編)
昨年末は、食事会と飲み会にせわしなかった。例年なら、一年の終わり間際に慰安家族旅行が開催されるところ。けれど、我が家のプライベート・ツアーコンダクターたる長女が今年国家試験。旅行を率先して計画するものはなく、それならと自宅警備員に徹することを決意した。いつもなら旅行先から帰宅するのが大晦日。その夜は紅白を観ながら愚痴をこぼし酔いどれてるのに、旅行に行かなかったものだから昨年は外で酔いしれていた。蟄居することが決まったから、ある決意を秘め書斎に引きこもった。
クリニックのホームページを立ち上げて以降、欠かさず継続してきたのが院長コラム。平均して週一回、一回当りの文字数は原稿用紙にして三枚ちょっと。月にすれば五千字前後。年間にすれば平均六万文字程度、もう少し頑張れば一冊の本になるくらい。よしなし事を書き続けて十七年、今も続いているし、命ある限り継続していこうと思っている。年末年始の長い九連休、意を決したのは、我が「院長コラム」を腰据えてじっくり読み直すこと。自分の書いたことだから気軽に読み返せると思いきや、これがなかなか読み進めない。ゴミ溜めのような文章の中にキラリと光る言葉がある。今となっては笑い話のような悩みや苦しみにもがいている。些細な出来事に一喜一憂している。三島由紀夫かと思うくらい憂国の士を気取った僕がいる。「何でもかんでも書きゃいいってもんじゃないよ!」、削除したくなるくらい恥ずかしい文章もある。結局のところ、九連休に十七年の逸話を読み直すことが出来なかった。遂行できなかったながらにも、そこには「人間・長嶋雄一」の物語があることを確信した。市井に生きた無名人にも歴史があることを再認識した。
昨年十月に起きた左膝の負傷は今もなお痕跡を遺している。確実に改善傾向にあるのは確か。しかし、平泳ぎのキック、起床時の起立、左足の屈曲時に不意に激痛が走る。日にち薬とゆったり構えていたけれど、あまりにも長期化しているため「このままでは二度と走ることが出来ないのでは?」と不安に駆られるようになった。初泳ぎは一月四日、土曜日。十日振りのスイミングということは、リハビリも十日振り。日常生活空間でのストレッチは、逆に負傷部位の負担増加を感じていたから、浮力を意識し水圧を友にする水中柔軟運動に重きを置いていた。初泳ぎ時の平泳ぎキックと屈曲時の左膝違和感は十日前と何ら変わっていなかった。しかし、しばらくするとみるみるうちに痛みは改善し、スイミングプールでのリハビリ効果を改めて実感。とともに、適度な頻度で継続的にリハビリをすることの重要性を再認識した。