2025年 年始(後編)
昨年十月、左膝を中心に痛めた打撲部位は未だ後遺症を引きずっている。日常生活に支障はないもの、大丈夫と思って動かすと不意に訪れる痛みにずっと怯えている。よくよく考えると、長期に身体の不調を来すことは生まれて初めて。負傷後三時間、ほぼ動けないくらいだから強烈な打撲は確か。そこは腐っても医者、「自宅の階段から落ちました。」なんて救急搬送される訳にいかない。緊急かと問われれば超緊急。けれど、休日に緊急手術の適応があるかと問われれば適応外。かなりの制限はあるものの、ほぼ普段通りの生活が可能。それから一日経ち、一週間が経ち、一ヶ月経ち、悪化せずとも第三者から見れば負傷者に違いなかった。ようやく病院を受診したのは負傷から一ヶ月後。MRI診断は「骨折はしていないが筋肉の損傷が激しく関節腔内に液体貯留」。
年が明けても落ち着かない痛みに、ふとひらめいた。「『我、神仏に頼まず』をモットーにして生きてきたけれど、逆にその信念が不幸を招いたのでは?」と。行事としての初詣は建前上行っていた。でも、今回は人生史上最大の怪我、「厄災や穢れを落とさなきゃ!」何のためらいもなく神社に詣でることを決意した。当地に神社は数々あるけれど、今回は「よみがえりの聖地」として知られる熊野本宮大社を選択。仕事始め前日の一月五日(日)に参った。妻が調べたら、ちょうど今年から厄年(前厄)らしく、願ったり叶ったり、厄祓いもしてもらうことに。同じ田辺市と言っても本宮大社まで車で100分、義父母と太陽、我々夫婦の五人で参った。社務所前で祈祷申し込み書を妻に書いてもらい、僕は厄年表を眺めていたら、同じ年齢の妻も厄年であることが判明。「何なよ、自分も厄年やで。」急遽夫婦で厄祓いを申し込むことに。
社務所に申し込み書を二人分提出したら、名前と顔を見ながら神職が「長嶋先生ですよね。」ときた。身内に医療従事者がいる神職で、当院のホームページを折りに触れて見てくれているとのこと。「この冬のプライベートファッション・コーディネートはレザー」と決めていた僕は、当日の服装にダブルのレザーライダースを選択。しかも、熊野本宮大社にあやかって胸元には八咫烏がペンダントトップのネックレスをチョイス。端から見れば医師とは到底思えない風情。しかも、祈祷料も御心だけと最低限。バツが悪いことしきり恐縮するばかりだった。神職に厄除けしていただき、まさに神聖な気持ちになった。あと二年、しっかり厄祓いしてもらうことを決意した。祈祷を終え社務所に寄ったら、面識ある宮司がわざわざ出てきてくださった。「すっかり心が洗われました。」と宮司に告げたら、「先生はいつも心が洗われているじゃないですか。」の有り難きお言葉。2025年はその言葉を糧に、飛厄し飛躍する年にしようと心新たにした。