50半ばを過ぎてもSWEET16
「30年前の自分は何をしていたのだろう?」ふと浮かんだ。研修医2年目、市立旭川病院で呼吸器科、消化器科、循環器科、血液内科の内科四科を順に研修していた。当時の科長は、ちょうど今の自分の年齢と同じくらい、「あーあ、そんなに月日が経ったんだ。名物科長達も今や後期高齢者、現在もご健在だろうか?」思いを馳せる。父が胃腸科だったこともあり消化器科に興味があった。けれども、「内科医を目指したのだから、先ずは内科専門医取得を!」と意気込んでいたように覚えている。そうは言っても医師としては半人前以下、体の良い実働部隊で単なる使い走りである。自分の想いと現実のギャップにあえぐ、まだまだ何者にもなっていない自分がそこにいた。
30年前のことを突如として思い出したのは、佐野(元春)さんがアルバム「Sweet 16」を発表したのがちょうど今から30年前の1992年。通常、お気に入りのアルバムと自分が過ごした月日の思い出は強くリンクするものなのだが、こと「Sweet 16」に限っては当時の風景が思い浮かんでこない。かと言って、アルバム全体の雰囲気や流れは強く印象に残っていて、ミュージシャン佐野元春の間口の広さを知らしめるオリコンチャート二位にもなった名盤である。今夏、ファンクラブから名盤ライブ「Sweet 16」の案内が届いた。文字通り、アーティスト本人が当時のアレンジで曲順通り忠実にアルバムを再現するライブで、名盤ライブ「SOMEDAY」に続く第二弾である。時は11月27日、日曜、場所はZepp Namba、二回公演の一回目で申し込んだ。
大阪のキタと言えば梅田、ミナミと言えば難波。日頃はキタでの買い物やイベント参加がほとんどで、ミナミの土地勘がなくZepp Nambaの場所が良く分からない。当日は神戸から梅田に移動して買い物、Google Mapで検索してミナミへ。クルマの多い御堂筋を恐る恐るレクサスLXで南下することに。南海電鉄なんば駅からさらに南に位置する場所にZepp Nambaはあった。中心地からやや離れているせいか、不安視していた駐車も難なく出来た。会場には同世代と思われる夫婦や友人達が集結していて、ある意味同窓会の意味合いも呈していた。三時開演のライブは約1時間半、たった一言で言うなら圧巻だった。アルバムを忠実に再現するために凄腕ミュージシャン10名がサポート。楽曲自体もそうだが、アルバムのコンセプトも全く色褪せていなかった。時節柄大きな声を出せない、大きく体を揺らすことは出来なかったが、観客の多くはライブという瞬間と三十年という歴史を噛み締めたに違いない。
あれから三十年、僕はなりたい自分になれたのだろうか?自分に問いかけてみる。正解のない答えのない質問は分かっている。ただ理解していることは一つ、何者にもなっていない男が何者かになる側にはいつも佐野さんのアルバムがあったことだけは確かだ。しかも、当時CDで聴いたコンセプトアルバムを三十年の時を経てライブで聴けるなんて、佐野さんには感謝しかない。この稿を終えるに当たって、アルバム「Sweet 16」の中の「レインボー・イン・マイ・ソウル」の一節を挙げておく。現在の心境と感じている。
失くしてしまうことは 悲しいことじゃない
輝き続けている いつまでも
There is a rainbow in my soul
あせらずにゆくさ 何も迷うことはない