院長のコラム

48歳の風景

ワインの会の後思ったこと

亡くなった母の誕生日は四月二十三日である。今年のその夜は、イタリア料理店で開催されたワインの会への参加だった。いつものメンバー達と、美味しい料理と厳選されたイタリアンワインに舌鼓を打った。卸店からスタッフが来店してワインについて懇切丁寧に説明をしてくれたのだが、聞いていたのは最初だけで、いつものように他愛のない話で盛り上がっていつもの単なる飲み会になってしまった。仕事疲れもあったせいか帰宅したらそのまま寝床に潜り込んだので、母を思い出すようなしんみりとした時間は持てなかった。イベント事が好きだった母のことだから、きっと許してくれることだろう。

母は、卵巣癌のため四十九で亡くなった。当時周りの大人達は「まだまだ若いのに」の言葉を繰り返し僕にかけてくれた。母とは三十も年齢が離れていたため、「そうなのかな?」とその言葉の意味を実感できなかった。
その僕も、母が闘病生活を送り始めた年齢になってしまった。開業して八年、ようやく仕事が軌道に乗ってきたことを感じる昨今である。内視鏡に取り組む姿勢も、以前よりも遥かに肩の力が抜けてきているように感じている。初夏には新たなビジネスの立ち上げも迎えている。開業医として経営者として、脂がのっていることを我が事ながら意識している。成年していない子供達のためにも、もっと頑張って働かなければならない。今、病気になんてなれない、ましてや妻子を残して冥土に旅立つことなど到底出来ない。そのように考えると、母の無念はいかほどであったか。

この地域でいち早く医療法人化したのは父であり、それを支えたのが母だった。支えるというよりも二人の関係は車の両輪のようなものだった。母は薬局にアイスクリームのフランチャイズ店も経営していたので、もっぱら夕飯の支度をするのは父だった。趣味人だった母は、お茶に三味線、お稽古事がとにかく好きだった。そのためだろう、母のイメージと言うと着物を着て出かけて行く姿が強烈に印象に残っている。母が発病した当時、我々兄弟は高校生だった。きっと子供達の未来も案じていただろう。この年齢になり、ようやく早過ぎる母の死の意味が理解できるようになった。どんなに辛かっただろう、どんなに寂しかっただろう、そしてどんなに悔しかったことだろう。

若くして癌に侵された両親から遺伝子を受け継いでいる僕である。確率論的には、発癌の可能性が相当高いことだけは間違いない。正直不安であるが、悩んでいても何も解決はしない。四十代前半よりも食事運動療法に心がけている。定期的に血液検査や内視鏡検査を受け、時には一人超音波検査も行っている。両親よりも長生きすること、子供達の成長を見届けることが僕にとっての親孝行であると感じている。
日々生かされていることへ感謝、自分の礎を築いてくれた両親へ感謝するとともに、二人が果たせなかった夢を叶えられるよう日々精進して行こうと思っている。

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