院長のコラム

I am a father.

中学校の同級生三人と定期的に飲んでいる。二人は僕と同様経営者、一人は市民の負託に応える職業に就いている。学歴・職歴は全く異なるが、互いに責任ある立場にあるからか妙に馬が合う。社会的地位や年収に関係なく胸襟を開いて忌憚なく話せる。だからか、僕が開業してからずっと続いている。集う場所は割烹でも寿司屋でもなければビストロでもない、雑多な居酒屋である。つい先日も、新春定例会と称して集った。その席の宴もたけなわ、話の流れの中、一人が「ゆういっちゃん、あんたもう親父を超えたやろ。」と突然切り出した。「えっ?」思わずひるんだ。

僕の父は「胃の長嶋」で有名だった。まだ内視鏡検査が一般的ではない頃、北海道で技術を習得し、「包丁一本さらしに巻いて」ではないが、医事新報の求人欄をみては条件の良いところを内視鏡一本各地を転々とし、辿り着いた先が当地だった。当時、胃潰瘍は難病で再発を繰り返していた。父は患部に薬液を注入する当時の最新治療も行っていたようである。僕が保育園の頃は、大塔村(現田辺市)の富里と三川診療所に勤務していた。田辺市や近隣市町村、噂を聞きつけた県内外の多くの患者さんが村の診療所を訪れたようだ。満を持して開業したのは、昭和四十八年、僕が小学校一年生の時である。登校する時刻には、駐車場はいつも満杯だった。遠方から来た方や入院治療を要する患者さんのため、入院施設を増設したのはまもなくのことだった。その後、医院を医療法人化、薬局やサーティワンアイスクリームの経営にも乗り出した。とにかく判断が速く、やる事なす事、開業医のパイオニアだった。この間、田辺市医師会長の役も担った。

「親父を超えたい!」、息子なら誰でも思うことだと思う。同じ道を選択したらなおさらのことである。僕が歩んだ道は、父を超えるための道程だと言っても過言ではない。家族を食べさせるため実地医家に埋もれざるを得なかった父の敵を討つように、僕は医学博士と各種専門医を取得した。御縁もあり大学講師や国立病院の医長も務めることが出来た。機が熟したのは、父から七年遅れること四十歳の時だった。あれからもう十三年が経った。この年月の間に、誰に指図されることなく鍼灸整骨院と介護事業所を設立した。三年前にはクリニックを医療法人化した。振り返ると、父と同じ道を歩んでいる。父と大きく異なるのは、寄らば大樹の陰的な医師会を志で持って退会したことである。「父を超えたい!」と願った息子も、いつしか親父になってしまった。何の因果か、三人の子供達も医学の道を志すことになった。両親が現在生きていたら、こんな僕のことをどう評価するだろうか。

「ゆういっちゃん、あんたもう親父を超えたやろ。」、酒席で突然切り出された。「えっ?」思わずひるんだ、そして瞬時に考え答えた。「そうやな、キャリア的には超えたかもしれんな。子供達三人も医学部に行かせたしな。でも、超えたような超えていないような、よう分からん。けども、そうやって言ってくれたことが何よりも嬉しい。」、そんなことを言ったような記憶がかすかに残っている。僕が真の意味で父を超えられる時は何れ来る。その時は六年後、僕が六十を迎える時である。父よりも長く生きること、それこそが僕の生きた証であり意義であり、最大の親孝行である。

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