JIN-仁-
COVID-19による緊急事態宣言のため、不要不急の用事以外家に引きこもらざるを得なくなった。風薫る晴れやかな日に何もすることがないのだ。何気に新聞のテレビ欄を見ていたら、テレビドラマ「JIN-仁-」の文字が飛び込んできた。現代に生きる医師が幕末にタイムスリップするドラマで、大変評判のいい番組であることは当時から承知していた。十年前というと、おそらく子育てに奮闘していたのだろう、連続ドラマを見る習慣がなかった。「JIN-仁-」と「JIN-仁-完結編」の全二十二話を再編集した「JIN-仁-レジェンド」は、一回約三時間の六回に分けて放送される予定になっていた。視聴するには相当な時間と根気が強いられる。とは言え暇なので、こんな時でもなければ、いやこんな時だからこそ視聴することにした。
主人公の南方仁が向かったのは幕末である。当時、市井ではコロリ(コレラ)が流行し、バタバタ倒れていく人々に為す術もなく右往左往しているような時代だった。遺伝子治療やiPS細胞を用いた移植医療までされる現代、医療は飛躍的に進歩したように思えた。もちろん同じくらいに社会は発展し、瞬時に誰もが片手で情報を得られる時代になった。けれども、高々新型というだけでコロナ感染症に壊滅的な損害を被った今回、「この百五十年で医療や社会は本当に進展したのだろうか?」懐疑的にならざるを得ない。主人公が孤軍奮闘する様も、一部の医療従事者の使命感や責任感に依存している現代と何も変わっていない。十年前のドラマが、現代我々の眼前で起こっている事象とリンクし、みるみるうちにドラマに引き込まれていった。
「JIN-仁-」が秀逸なのは、タイムスリップの場に多くの志士が活躍した幕末を選択したことにより、日本人が好きな歴史ドラマの要素を加えたことである。さらに、「なぜ、南方先生はタイムスリップしたのか?しなければならなかったのか?」というミステリーが常に背景にある。婚約者と瓜二つの花魁の野風さん、南方先生を陰に日向に支えてくれる咲さんとの恋愛の行方も巧みに取り入れられていた。幕末に生きる南方仁は、決してヒーローではなかった。終始、時代と運命に翻弄されていた。しかし、決して諦めなかった。医薬品や医療器具がなければ作った。「自分の言動で歴史を変えるかもしれない。」という不安を常に抱きながらも、刻々と変わる状況下で実直に真摯に取り組くんだ。現代に生きている我々も、今、南方先生と同じ立場にいる。当たり前のことが当たり前でない、自分の知識や経験、努力が通用しない、未来予想図が立てられない世界に生きている。南方先生の生き様が、我々に行き方と生き方を示唆してくれているように思えた。
このドラマの中で、南方先生は常に自身に問い続ける。「神は超えられる試練しか与えない」と。突如として起きた今回のカタストロフィー、挫折・喪失・悲観・絶望の淵に生きていても、「神は超えられる試練しか与えない」の言葉は希望の光を与えてくれているように感じた。今回のコロナ禍で、十年前にすれ違ったドラマと巡り逢えた。運命を感じた。とともに、その意味や意義を熟考しなければならない。何度でも自分に言い聞かせる、「神は超えられる試練しか与えない」と。